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国際問題コラム「世界の鼓動」

コップ半分の水 SBYの時代

賛助会員 小川 忠

(筆者は国際交流基金のジャカルタ事務所長として独自に情報発信をしている)

インドネシア共和国第6代大統領、スシロ・バンバン・ユドヨノ。頭文字をとって、SBYと呼ばれる。この国の歴史上初めて国民による直接選挙を経て2004年10月20日に大統領に就任、以来10年の時は流れ、今月19日をもってその任期を終える。彼の治世をどう評価するか。

そう問われて頭に浮かんだのが、「コップ半分の水」のたとえだ。「コップのなかに半分しか水は入っていない」と考えるのか、「半分も水が入っている」と考えるのか。同じ分量の水でも、見方ひとつで全く違った評価となる。

ユドヨノ政権の評価をめぐって国際社会の見方と国内世論の見方が、大きく隔たっている。国際社会は、軍出身者でありながら民主主義を着実に発展させ安定した政治のもと、力強い経済成長を成し遂げた指導者として彼を称賛する傾向が強いのに対して、インドネシア国内においては、汚職の蔓延を解消できず、政権末期には「民主化の後退」と批判される地方首長の間接選挙法案が国会で可決された際、それを阻止するための指導力を発揮しなかったとして落胆の声があがっている。

さらに国際社会の中でも、インドネシアに対して大きな期待を寄せる人びとのなかには、ユドヨノ政権の取り組みは不十分とみなす意見もある。

ここでは、パブリック・ディプロマシーと文化社会的視点から、「ユドヨノの時代」を考えてみたい。

パブリック・ディプロマシーは成功したか

政権発足時において、ユドヨノ政権のパブリック・ディプロマシーにとって最大の課題は、国外に拡がっていた「インドネシアは治安の悪い危険な国」というイメージをどう克服していくかにあった。

こうした負のイメージは、1998年スハルト政権崩壊時に発生したジャカルタ大暴動の記憶が生生しかったことに加えて、2001年米国同時多発テロ事件によって世界中に拡散した「イスラムは暴力的な宗教」という認識、そしてそれを裏打ちするように発生したインドネシア国内での大規模テロ事件に負うところが大きい。

アルカイダとつながる国際テロ組織「ジャマー・イスラミア」が関与したとされる大規模テロ事件を挙げると、2002年10月バリ島爆弾テロ事件(犠牲者202名)、2003年8月ジャカルタJWマリオットホテル爆弾テロ事件(犠牲者12名)、2004年9月ジャカルタ、オーストラリア大使館前爆弾テロ事件(犠牲者9名)、2005年10月バリ島爆弾テロ事件(犠牲者23名)、2009年7月ジャカルタ、ホテル爆弾テロ事件(犠牲者11名)である。2002年から、ユドヨノが大統領に就任した翌年2005年まで毎年世界の耳目を集める過激イスラム組織によるテロ事件が発生していた。これらテロ事件は、外国人観光客が集まるバリ島リゾートやジャカルタの米国資本系ホテル、大使館がターゲットにされ、犠牲者のなかには日本人含め多くの外国人が含まれていた。

ユドヨノ大統領就任直後の2014年12月に発生したスマトラ島沖地震(インド洋大津波)及び、2006~2007年鳥インフルエンザの流行も、「インドネシアは危険な国」というイメージ悪化に拍車をかけた。

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2014年10月15日 up date

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