NPO法人 アジア情報フォーラム

お仕事のご依頼・お問い合わせ

講演依頼、コラム執筆、国際交流企画など、ご相談は無料です

国際問題コラム「世界の鼓動」

コップ半分の水 SBYの時代

インドネシアン・ドリームが語られたSBY時代

ユドヨノ政権下で年率6%を超える経済成長が続いた結果、インドネシア社会は大きな構造変化を遂げつつある。世界銀行の中間層定義「1日の消費が2米ドルから20米ドルまでの層」にはあてはめると、今やインドネシア国民の過半数以上が中間層という時代になっている。インドネシア研究者倉沢愛子氏はこの定義ではあまりに大ざっぱすぎてインドネシアの現状を正しく表現できていないとして、真正中間層とは別に、「一見経済力を伴わないにもかかわらず彼ら〔真正中間層〕と類似した消費行動を見せる人びと」を擬似中間層と呼び、大量の擬似中間層が出現していると指摘している。

ユドヨノ政権の10年は、この擬似中間層においても中等教育、高等教育への進学熱が高まった時代といえる。「家は貧しく日々の生活はつらくとも、努力して学問を身につければ出世の道は開ける。」すなわちそれは、国勢拡大期の国に見られる楽天的な未来絵図、インドネシアン・ドリームである。

こうした時代の気分を体現するのが、小説が500万部の空前のベストセラーとなり、映画もインドネシア映画史上最高の観客動員数を記録した物語「ラスカル・プランギ」(「虹の兵士たち」、小説邦題「虹の少年たち」)である。

ラスカルプランギあらすじはといえば、インドネシア版「二十四の瞳」というべきもので、1970年代南スマトラ、ブリトゥン島において、献身的な若い女性教師によって村の子どもたちが自分たちの可能性に目覚めていくというストーリーだ。(写真:映画「ラスカル・プランギ」DVD)

後に成人してフランスに留学した男性が、自分の子ども時代を懐かしく回想するという構造になっており、このあたりはイタリア映画「ニューシネマ・パラダイス」を思い出させる。この点からするとこの映画は一見ノスタルジー映画なのだが、実はこの映画のあちこちに横溢している「貧しくとも教育機会を得れば社会階層を登っていくことができる」というテーマは、現実はともあれ、精神としてユドヨノ時代そのものだ。小説、映画が大ヒットしたのは、ユドヨノ治世下(小説出版が2005年、映画封切りが2008年)であり、また小説、映画を通じて、さらに多くの国民が教育の重要性を認識したということからも、ラスカル・プランギは、ユドヨノ時代と深く結びついて記憶されていくことになるだろう。

「親は学が無くて苦労したが、自分は知識、技術を身につけて、きっと出世して社長になってやる!」「自分の家庭は貧しくて上の学校に行くことは諦めたが、息子・娘は高校、大学までやって、自分のような悔しい思いをさせたくない」「外国語を学べばインドネシアを飛び出して世界で活躍できる!」「電気も来ない辺境の地の子どもたちに教育を届けよう」

このように、坂の上の雲を仰ぎみるように楽天的で、煮えたぎるように熱い志に満ちた物語が、今インドネシア全土のあちこちで語られている。

この国の歴史において初めてエリート一族ではなく、庶民の出として大統領に就任するジョコ・ウィドドも、「ラスカル・プランギ」的なインドネシアン・ドリームの生きた見本だ。そういう観点に立つと、ユドヨノの10年が彼の登場を準備したともいえる。「教育があれば貧乏は乗り越えられる」。その夢を、多くの国民が一定の現実感をもって抱くことができる時、インドネシアの安定は続く。

しかし、「教育を受けても現状から抜け出すことができない」と考える若者が出てきた時、この国は再び危機に直面するかもしれない。経済成長鈍化の兆しが見え始めたインドネシア、来る10月20日に発足する新政権は、ユドヨノが残していったコップに残り半分の水を満たすという、これまで以上に困難な作業に取り組まなければならない。

1 2 3 4
2014年10月15日 up date

賛助会員受付中!

当NPOでは、運営をサポートしてくださる賛助会員様を募集しております。

詳しくはこちら
このページの一番上へ