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国際問題コラム「世界の鼓動」

「独裁」と「無政府」:どちらがマシなのか?

賛助会員 春海 二郎

(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)

 

ドイツの週刊誌、シュピーゲル(Spiegel)の英文サイトに出ていたエッセイは、「国のあり方」の問題を素朴な疑問を通して考えるもので、読んでみてかなり納得が行くものでありました。見出しからして(むささびには)刺激的であります。

自由と安定:独裁者は無政府よりも悪いのか?

Freedom vs. Stability: Are Dictators Worse than Anarchy?

というのです。「独裁政治」と「無政府主義的混乱」のどちらかを選べと言われても困りますよね。どちらもイヤとしか言いようがないのだから。しかし現実の世界ではそういう選択を迫られることが多い・・・と筆者は言っている。

2003年、アメリカのブッシュと英国のブレア政府が中心となって敢行したイラク戦争によって、独裁者・フセインは処刑されていなくなった。あれからほぼ10年、イスラム国(Islamic State:IS)の登場によってイラクの事態はフセイン時代より悪くなったとは言えないのか?これがこのエッセイの問題提起。書いたのは同誌のコメンテイターであるクリスチャン・ホフマン(Christiane Hoffmann)です。

あの当時、ドイツの作家、エンゼンバーガーが有力紙に寄稿したエッセイの中で、サダム・フセインの没落についてこれを「大いなる喜びとする」というニュアンスの主張をしていた。フセインという独裁者の残忍さにふれて「あんなヤツ、いなくなって良かった」と言ったわけですが、彼は同時にその当時のドイツ国内では主流の世論であったイラク戦争反対の意見に対してこれを批判する意味のことを書いていたのだそうです。

そしてエンゼンバーガーのエッセイを読んだクリスチャン・ホフマンは少数ながらも自分の意見を主張する作家に大いに感銘を受けた。それだけではない。ホフマンは英米によるイラク爆撃が開始される直前にイラク北部のハラージャ(Halabja)というところを訪問、フセインによるクルド人虐殺(1988年)についての証言を聞くに及んで、戦争には反対であるけれど独裁者(フセイン)の崩壊そのものは大いに喜ぶべきことであると確信していたのだそうです。

しかし2014年の今になって考えると、あの当時戦争に懐疑的だった意見が正しかったようだ、とホフマンは感じている。あの当時、反戦論者たちは、戦争の結果20万人を超える死者が出ると予想していたのですが、エンゼンバーガーはこれを一笑に付していた。そんなに死ぬわけないということです。しかしいろいろな調査を見ると、あれからの11年間で戦争に関連して死んだ人間は20万人を超えているし、何よりもイラクおよびその周辺全体が混乱と無政府状態に放り込まれ、それがイスラム国の台頭をうながしているではないか・・・とホフマンは思っている。

独裁者がいなくなったことについて有難いと思うべきだという理由も多くある。犯罪者が政権の座にあるということがなくなっただけでも結構なことではないか。さらに、民主主義はこれから根付く可能性だってある。人によっては、どんなものであっても独裁政治よりはマシだという意見だってある。

There are many reasons to be gratified by the end of a dictatorship. For one, it means that a criminal is no longer in a position of power. And there’s the prospect that democracy could take root in its stead. Some people also believe that anything is better than despotism.

しかし(とホフマンは言います)「どんなものであっても独裁よりはマシ」という考え方は正しくない。最近のイラクを見ると、独裁とか自由の欠如とか抑圧などよりもさらに悪い状態にある。それが内戦と混乱(civil war and chaos)であるということです。彼によると、今の世界で「落第国家」(failing states)とされる国々を見ていると、独裁者を打倒したから必ず民主主義が来るというものではないということがわかる。独裁のあとに無政府状態が来ることがあまりにも多いではないかということです。別の言い方をすると、これからの世界は「民主主義国家vs独裁国家」ではなくて、「機能国家vs不機能国家」(functioning and non-functioning states)という対立軸になるのではないか・・・とホフマンは考えている。
「大切なのは秩序なのだ」(Rule is order)とのことで、国家というものが秩序を保てなくなったとき無秩序・無政府の危機が迫るとホフマンは言うのですが、17世紀英国の思想家であるトマス・ホッブスはこれを “war of every man against every man” (万人の万人に対する戦争)と表現しているのだそうです。ホッブスによると、そのような状態になった人間(国民)を手なづける(taming)のが国家の役割である。

冷戦時代を振り返ってみると、西側諸国にとっての脅威はすべて共産主義に関係するものであり、いわゆる「不機能国家」やテロ組織などではなかったのですよね。あの時代は西側民主主義vs社会主義独裁国家との対立という構図であったのであり、「独裁」の反対は「民主主義」だったわけです。1990年代を彩った東欧諸国の革命がそのことを確証している。つまり東欧の社会主義独裁の場合は、それに取って代わったのが無政府状態ではなく民主主義であったということです。

このことがある幻想を生んだ。すなわち民主主義にとっての障害物を除去すれば、社会はほぼ自動的に民主主義になるという幻想である。

This created the illusion that one merely had to remove obstacles for democracy to appear, almost automatically.

ロシアを見ろ、とホフマンは言います。ソ連時代の独裁体制は打倒され、そこそこ民主主義的な選挙と経済の民営化が行われたけれど、ロシアの場合は法の支配というものが根付くことがなく、権力者の気まぐれや汚職などが国家を支配するようになってしまった。そしてチェチェンが独立を求めて戦うようになり、その意味ではロシアという国家そのものが崩壊を始めてしまった。そんなときにエリツィンに大統領を託されたのがプーチンだった。プーチンの仕事はロシアという国家の機能を回復することだった。ただロシア人の間では厳重な独裁体制を敷いたブレジネフ時代を懐かしむ声がいまでも極めて強いのだそうです。自由もなかったし民主的でもなかった、でも安定はしていたというわけです。、

ここで極めて素朴な質問。

安定しているということはそれ自体で価値のあるものなのか?

Is stability a value in and of itself?

世の中、安定さえしていればそれでオーケーということなのか?これに対して「もちろんそうだ」と肯定的に答える人は、cynics(皮肉屋、悲観論者)と言われることが多い。自由や人権よりも国家としての安定が大事だという意見です。そして少なくともアナキー(無秩序・無政府)よりは独裁の方がマシだという人は結構いる。機能する独裁政治と機能を失った国家では前者のほうが「悪さ加減が少ない」(lesser evil)という意見の方が多いはずだ、とホフマンは言う。

このような態度を「遅れている」(backward)とするのは簡単ではあるけれど、それは欧米の「快適なる民主主義」に浸っている人間の言うことであるとして、彼とイラン人の友人との会話について語ります。イスラム教が嫌ならなぜ現在のイスラム体制に反抗しないのか?という彼の問に対するイラン人の答えは極めて単純で、「革命など起こそうものなら物事はさらに悪化する」というものだった。イランでホメイニ師を指導者とする革命が起こったのはわずか35年前のことであり、そのときの混乱を思えば、現在の安定の方がよほどマシであるということです。社会が不安定になると、人びとが何を犠牲にしてでも「安定」を求めることは歴史的にも数多くあった。ドイツではワイマール共和国(1919年~1933年)のあとにヒットラーが登場したし、ロシアにおけるスターリニズムの台頭はロシア革命とそれに続く内戦状態を前提にしていた。アフガニスタンでは侵略したソ連の撤退後の混乱に乗じてタリバンが登場した。そしてイラクではイラク戦争後の混乱に乗じてイスラム国が勢力を増大させた。

イラクにおける民主化の失敗とシリアにおける「アラブの春」の失敗がイスラム国を招いたというわけです。イラクでもシリアでも近い将来において民主主義が花咲くとはとても思えない。それが現実というものだ。そのように見ていくと、シリアにとっての最善の策はシリア軍による反アサド・クーデターのようなものかもしれないとホフマンは主張します。それによって独裁者のアサドが追放される一方で軍という国家の中枢そのものは安泰でイスラム国と戦う体制が保たれる。一挙両得というわけですね。

しかし軍事クーデターの薦めのような発想は必ずしも健全なものではない。それは取りも直さず欧米の価値観(民主主義、自由など)を「輸出」することができないという限界を認めざるを得ないということだからです。混乱よりは独裁の方がマシという考え方は、欧米の企業が独裁者を相手にビジネスを進める際の言い訳にも使われている。

ただ、それでもその種の考え方が「間違っている」(wrong)と言い切ることもできない、とホフマンは主張します。平和基金(Fund for Peace)という国際機関の調査によると、崩壊の危険性のある国が2006年からの8年間で9カ国から16カ国へと増えている。一方でFreedom HouseというNGOの調査では、冷戦の終焉に伴って1990年代には自由主義国家がかなり増えたことはあったけれど、1998年以後はほとんど増えていないのだそうです。

民主主義が機能するのは最小限の安定が確保された状況においてのみである。しかも民主主義それ自体にはこの安定を確立する能力があるとは限らない。

Democracy can only function in an environment where there is at least a minimum of stability. And it cannot necessarily establish this stability itself.

確かにイラクやエジプトにおける民主化の動きは今のところは挫折しているように見える。ヨーロッパのように何百年にもわたって民主主義を試行錯誤してきたところは例外として、それ以外のところでは独裁者が打倒されて選挙が実施されたというだけでは民主主義が確立されたということにはならないというのが現実である、とホフマンは言って

民主主義というのはそういうものなのだから、欧米諸国はこれまで以上に「機能国家」という存在を認めるべきなのである。

As such, the West should value functioning states to a greater degree in the future.

と主張します。欧米にとってはロシア、中国、中央アジアなどのエリアにおける独裁的な政治のあり様は望ましいものとはうつらないかもしれないが、それを打倒した後に何が来るのかということを慎重に考える必要があるということです。イラクにおいてイスラム国を空爆することについてオバマ大統領は最初は大いに慎重であったわけですが、8月8日付のNew York Timesとのインタビューの中で自分は常に次のように自問自答することにしていると述べています。

我々(アメリカ)は軍事介入を行うべきだろうか?(それを行ったとして)その後に来るものについての答えはあるのだろうか?

Should we intervene militarily? Do we have an answer (for) the day after?

ブッシュとブレアのコンビが2003年に敢行した軍事介入の後にイラクに起こったのは無政府と混乱だけだったではないか・・・これがオバマの自問自答のテーマなのだろう、とホフマンは言っています。そして2003年当時のドイツにおいて英米軍によるフセイン打倒を支持する発言をした作家のエンゼンバーガーは、今年の8月にポツダムで行われた文学祭において、あの発言は「完全に失敗だった」(fell heavily on my face)と認めたのだそうです。

2014年10月19日 up date

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