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国際問題コラム「世界の鼓動」

シリーズ・海外渡航と医療③

ロンドンでの医療体験(3)

五味 秀穂
(財)航空医学
研究センター所長

海外で医療活動をしていると、時に大変悩ましい問題と遭遇する。国内での医療とは違い、それなりに多様な分野の知識がどうしても必要になる。それは医師として当たり前のことかも知れないが、それでもなお困ることはある。患者にしてみれば、頼れるのはどうしても医師になるから、内心困っても、なんとか対応せざるを得ない。

そこで今回は海外医療の難しさ、悩み多き問題についての体験を述べたい。そんな代表的な事例は、海外駐在日本人の「メンタルの問題」である。これは決して珍しいことではなく、どこの国に滞在していてもよくある問題であるが、とりあえず、私が経験した二つの実例を紹介したい。

1.留学生のケース

英国ロンドン日本クラブ・クリニックは、通常のパターンとして、午前中は駐在員家族などの受診が多く、午後は旅行者や留学生などの学生の受診が多い傾向がある。それら留学生の多くは、「お悩み相談」である。

日本の学校で登校拒否や、就学に問題があって家に閉じこもる、または家を飛び出すことになってしまった学生の場合、経済的にゆとりのある家庭では、日本の学校の海外校に「場所が変われば何とかなるのでは」と留学させるケースが多々みられる。しかし根本的な問題解決を行わずに海外に送り出すと、最終的にはより悪い状態に傾く危険性が潜んでいることも多い。

当初は海外旅行気分で調子は良いかも知れないが、そのうちに学校での授業や友人・教師との人間関係などでまた問題が生じてくると、今度は家庭という逃げ場がないため、行き場所がなくなって追いつめられてしまう。言葉も上手く通じないため、社会にも救いを求められなくなってしまうのである。そのため日本クラブ・クリニックがしばしばお悩み相談の場となるのである。

ある高校生の例であるが、彼はロンドンから少し離れた所にある日系の高校に通い、寮住まいであった。やはり精神的に疲れてわざわざロンドンまで受診に通ってきた。話を聞き、これはもう家族に連絡し帰国の方向でと考えて、私はわざわざ日本の家族に電話をしたことがあった。しかし、電話に出た母親は「先生医者でしょ!ちゃんと見てやってよ!」と言われてしまった。挙句のはてに電話を切られたことがあった。「何とも無責任な親だな。この学生の問題は推してしるべしのことだなー」と内心思いながらも、その悩みをひと通り聞いてあげたが、メンタルな問題に即効の医療などあるはずもない。かといって高校生に英国人の精神科医を紹介して、そちらで治療を受けるように勧めるわけにもいかない。まことに困惑してしまったが、このケースで私が感じたことは、 精神科的疾患に「転地療養」は無いと思った方が賢明であるということだ。

2.駐在社員の家族(奥様)の場合

これもよくあるケースだが、家族を帯同しての海外駐在の場合、ご主人は毎日、仕事に追われ、家族のことに目が届かない。ある意味日本と同様な環境の継続となる。しかし、海外生活に不慣れな家族、特に主婦にとっては新たな環境と格闘することになる。これに順応できない奥様がメンタル的な疾患を抱えることも多く見受けられる。

駐在生活では言葉に不自由のない奥様方は、新生活の基盤をつくるのにあまり問題はないかも知れないが、多くの場合、まず言葉が思うように通じないとそれが大変なストレスになる。そのうえ、日本での生活よりどうしても狭い会社内の社会におかれてしまい、社員の家族同士の付き合いが多くなり、会社の上下関係などが絡んで、面倒な付き合いも生じてくる。そうしたことがストレスを高めることになりがちだ。このストレスに抗しきれなくなっても、逃げ場があまりないため、どうしてもメンタル的疾患を発症することが多くなってしまう。

ちなみに外国で精神科の診療を受ける場合、その治療のもっとも中心的方法の「問診」がこれまた言葉の問題でうまくいかないことが多い。日本クラブ・クリニックでは時々、看護婦を通訳として患者の病院に派遣することもあったが、一般的には治療が大変困難になってしまう。そのうえ、症状にもよるが、ある程度状態が安定しないと、飛行機に搭乗させることもできないため、簡単に帰国させることもできない。これでは主人の仕事にも影響は避けられないし、家族生活に多くの困難を抱え込んでしまうことになる。

逆に、海外派遣時、家族が帯同を希望しない場合にはもっと大きな問題になることがある。奥さんが孤独感に襲われ、家庭の切り盛りに疲れ切ってメンタル的な問題で倒れてしまうこともままあるからだ。こうなると、主人は、最終的には海外での駐在生活が困難となり、駐在の中止を余儀なくされ、帰国せざるをえなくなる。こうした例を幾つも見聞きしている。

私の体験から強調したいのは、海外での精神科疾患の治療は一番難しいということである。そして不慣れな環境からくるストレスは、海外駐在では決して珍しいことではなく、企業も家族も十分な配慮をしておく必要があるということである。ただ昔に比べ最近は精神的疾患への対応も次第に整えられつつある。駐在国によっても違うが、例えば現地に遊学中の精神科医が「コンサルタント」として、アドバイスしてくれる仕組みが作られ、日本語での「問診」も可能になってきている。

こうした制度的な改善は今後さらに進むと思われるが、いずれにしてもメンタルな問題を抱えた方の海外渡航は、渡航前に十分医師を含めた関係者で話し合っておくことが重要であり、現地でのサポートは医師だけではなく、親しい友人や家族などで支えあう信頼関係・バックアップ体制を築くことが一番必要になる。

2014年10月20日 up date

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