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国際問題コラム「世界の鼓動」

「反日」の嵐が吹いた日があった

文化交流重視という新しい外交 

 このような事件の性格から、「マラリ事件はスハルト政権内部の権力闘争であり、日本はスケープゴートに過ぎない。『反日』暴動ではなかった」という議論もある。(ユスフ・ワナンディも回想録でそのような言いぶりをしている)。しかし、当時厳しい対日認識が存在していなかったかのように捉えるのは、事実を歪めるものであろう。

 反日行動を起こした学生たちのみならず、当時のインドネシア政府内部も日本に対する批判的気分を幾分かは共有していたのは間違いない。スハルト大統領自身が日本側との会談で「日本人は商売にのみ熱心で、インドネシア文化を理解することに消極的だ」と苦言を呈している。

 この事件が日本外交に与えた衝撃は大きかった。インドネシアから帰国の機中で田中首相は、暴動の原因を探り早急に対策を練るように指示を出し、「経済偏重と、在留邦人の現地文化への無理解が、対日批判を招いている」という見方が外交関係者、在留邦人のあいだで危機感をもって共有されることとなった。

 慶応大学の倉沢愛子名誉教授は、「日本とインドネシアの関係を見るとき、反日暴動は一つの重要な分水嶺になった」と述べ、「在留邦人のインドネシアに対する姿勢もこれを契機に少しずつ変化し」「文化相対主義的考え方が浸透していった」と指摘している(『戦後日本=インドネシア関係史』草思社、270頁)。同教授は、文化交流路線への転換を示すものとして、国際交流基金ジャカルタ事務所開設とトヨタ財団の「隣人を知ろう」プログラム創設をあげている。さらに、マラリ事件の発生は、外交に理念をもたせることの重要性を痛感させ、「心と心のふれあい」を掲げる福田ドクトリン(1977年)につながっていった。

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2014年1月26日 up date

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