NPO法人 アジア情報フォーラム

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国際問題コラム「世界の鼓動」

「反日」の嵐が吹いた日があった

権力内部の暗闘

 マラリ事件を語り継ぐことの難しさは、この事件が軍権力による情報統制の厳しい社会体制下で発生し、核心部分が未だに闇に包まれている状態に起因している。しかし時の経過とともに、関係者の証言等により明らかになってきたこともある。そういう証言の再整理という観点から「テンポ」誌のマラリ事件特集号(1/19付け)は、幅広く関係各層への取材を行っていて、相当に力がはいったものだった。

 強いリーダー不在のインドネシアでは昨今、「決められない政治」に飽き飽きした庶民から、家父長的強い指導者を演じたスハルト大統領の時代をなつかしむ声が高まっている。そんな風潮のなか、過去へのノスタルジックな幻想を抱くのはやめにしよう、という編集方針が記されていた。つまり今回の特集は単なる歴史回顧ではない、ということだ。

「テンポ」誌の表紙 過去の問題ではなく現在のインドネシア民主主義のあり方に関わる問題としてマラリ事件がインドネシアで語られていることは、日本ではほとんど知られていないだろう。ここで「テンポ」特集の一端を紹介しておきたい。(写真 本年1月19日付け「テンポ」誌の表紙)

 衆目一致するところは、マラリ事件は、単なる日本に対する抗議行動が暴走した反日暴動ではなく、インドネシア内部の権力闘争と深く絡み合っているということだ。事件発生直後に、インドネシア政府は「政権打倒と憲法改正を目指す謀略」と結論づけ、インドネシア社会党やマシュミ党の党員たちが陰謀に関わったとして検挙していったが、これも実は表面上のつじつま合わせにすぎなかった。

 「テンポ」は、「マラリ事件はスハルトへの権力集中が加速化する転機となり」、事件後「体制側は、事件を口実に反対勢力とみなされる人々への弾圧を強化した」と述べ、「国家権力が仕組んだ暴力の典型例」であると位置づけている。

 スハルト政権内の権力闘争説で浮かび上がってくるのは、二人の主役である。一人は、治安秩序回復司令官スミトロ陸軍大将、もう一人は陸軍情報畑出身のアリ・ムルトポ大統領補佐官。

 1974年当時、スハルト大統領に近いアリ・ムルトポらが進めた外資導入政策は、不透明かつ貧富格差の拡大をもたらすものとして、学生たちから批判を受けていた。他方、首都の治安を預かるスミトロ大将は、学生たちとの対話にもきさくに応じて、大衆的な人気があり、次回の大統領選挙ではスミトロはスハルトの対抗馬になるのではないかという観測も出始めていたほどである。つまりムルトポとスミトロは政治的ライバル関係にあった。

 「テンポ」は、「イスラム教育刷新運動(GUPPI)」という団体の顧問だったラマディという人物に焦点をあてている。ラマディは、GUPPIにポストを得る前は、陸軍でムルトポの部下で法務担当将校だった。GUPPIは、1950年代にイスラム寄宿舎の旧態然たる教育を改革するために設立された団体であるが、資金不足に悩み、目立った成果をあげることはなかった。

 1970年にGUPPIに天下ったラマディは、パッとしない宗教関連組織をスハルト体制にイスラム勢力を動員するための大勢翼賛組織に作り替えたのだという。この組織が隠れ蓑になって、マラリ事件直前に素性怪しき者たちをかき集め、学生たちのデモ隊のなかに紛れこませた。彼らの扇動により、当初整然と行われていたデモ隊が暴徒化し、ジャカルタは動乱状態に陥る。

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2014年1月26日 up date

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