講演依頼、コラム執筆、国際交流企画など、ご相談は無料です
首都の治安維持に責任を負うスミトロを追い落とすために、ムルトポが仕掛けた謀略という図式である。事実、スミトロは「学生に甘すぎた」と糾弾され、事件の責任を問われて、1月28日に解任されている。
以上「テンポ」特集は、スミトロ陣営寄りの報道という印象を受けるが、一方ムルトポ側からは180度違った説明が行われている。
インドネシアの外交シンクタンクCSISで長年指導的立場にあったユスフ・ワナンディは、ムルトポの有力ブレーンと目され、マラリ事件の際にはデモ隊に自宅を包囲される経験をしている人物なのだが、その彼が2012年に出版した回想録Shades of Greyのなかで、マラリ事件に関して、スミトロ大将の使嗾があったとして、
・1970年代初頭、スハルト大統領の信任を得ているかのように専横的にふるまっていた。
・1973年末、ムルトポ私邸の警備を担当していた指揮下の兵をひきあげさせ、ムルトポを学生デモの標的にさらした。
・スハルト政権の経済政策に反対し、学生たちを扇動した。
・デモ鎮圧を口実に独断で東ジャワの陸軍部隊をジャカルタに移動させ、〔クーデターが可能なほど〕首都において彼の権力は著しく強大化した。
等、述べている。
スミトロ解任と同時に、大統領補佐官制度も廃止されたので喧嘩両成敗の形をとったが、その後スミトロは退役させられ「過去の人」になっていったのに比して、ムルトポは情報大臣に就任するなどスハルト政権の重職に就き、権力を拡大させていく。権力闘争に勝利したのは、明らかにムルトポだった。この事件の黒幕は誰か、と考える時、事件によって得をした人物をあたれ、という犯人捜しのセオリーからいえば、ムルトポ、そして権力の座を脅かす者を排除することとなったスハルト大統領が怪しい、ということにならないか。とはいえ決定的な物証がなく、依然として事件の真相は判然としない。