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賛助会員 小川 忠
(筆者は国際交流基金のジャカルタ事務所長として独自に情報発信をしている)
今年の1月15日は、自分にとって特別な意味をもつ日だった。日本・インドネシア両国関係を変える転換点となった反日暴動、「マラリ事件」発生から40年の節目の日だったからである。幾重にも積み重なる時を超えて、その衝撃波は、現在自分が携わっている文化交流の仕事にまで伝わってくる。
各種の世論調査を見ると、インドネシア国民の対日好感度は世界でも一、二位の高さだ。このような親日国インドネシアの首都ジャカルタで、今からちょうど40年前に反日の嵐が吹き荒れたことをご存じだろうか。
「マラリ」とは、「1月15日の災難」を意味するインドネシア語の略語だ。1974年1月15日、ジャカルタで、田中角栄首相の公式滞在日程初日に、日本の「経済侵略」に抗議する学生デモが導火線となって大規模な反日暴動が発生し、首都中心部は機能マヒ状態に陥った。死者11名、重傷者17名、燃やされ破壊された車両807台・バイク187台、損傷建築物114棟、逮捕者775名の犠牲・損害があった。
しかし、ひと世代前の記憶を継承していくのは容易ではない。
当地の邦字紙「じゃかるた新聞」が、ジャカルタ特別州内のインドネシア人大学生100人にアンケートを行ったところ、マラリ事件に関して、「詳しく知っている」と回答した者は皆無、66人が「全く知らない」と答えた。「詳しく分からないが知っている」と答えた者は34人に過ぎなかった、という。
「現在の日本人の態度や振る舞いをどう思うか」という同紙の問いに、50人が「良い」、47人が「普通」と答え、「悪い」と答えたのは3人。「日本はインドネシアの経済発展に貢献している」「日本の自動車や製造技術は素晴らしい」「日本人は礼儀正しく、規律正しい」等々の肯定的なコメントが寄せられおり、40年の時を経て、インドネシア青年の対日認識は大きく変わったことが、このアンケートから確認することができる。