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学校教育と並んで、映画、テレビといった娯楽メディアは、国民の歴史意識形成に大きな影響を与える。これまで独立戦争を好んで題材として取り上げ、インドネシア国民に「歴史教育」を施してきた。
このような娯楽メディアは、多かれ少なかれイデオロギッシュな側面を内包しており、ともすればインドネシア独立を無条件に肯定し、独立戦争の指導者たちを神格化する傾向が少なからずあった。スカルノ初代大統領を権力の座から引きずり降ろして成立したスハルト軍事政権の時代には、スカルノが独立後に共産党へ傾斜したことを否定する作品こそ創られたが、インドネシア国軍にとって、彼らが権力の座に座る正統性は独立戦争を戦い抜いたことに由来するがゆえに、スカルノの独立指導やインドネシア独立の大義そのものに疑問を呈する映画、テレビが製作されることはほとんどなかった。
ところが、近年のインドネシア映画を見ていると、「建国の父たち」の息子や孫の代になって、独立戦争の大義を無条件に肯定することに留保をつける動きがでて来ているという感慨を抱く。
たとえば2012年に公開された「スギヤ」が、そうした新しい傾向を感じさせる映画の一つだ。監督のガリン・ヌグロホは、インドネシアを代表する映画人である。現代50歳なかばの彼は、当然日本軍政も、独立戦争も直接の皮膚感覚では知らない。
この映画の主人公は、実在のスギヤプラナタ(通称スギヤ)司教。といっても日本ではほとんど知られていないだろう。1940年インドネシア人で初めてバチカンから司教に任命され、中部ジャワの都市スマランにあって、日本軍政から独立戦争までの激動の時代に、戦争の暴力に翻弄される人々を守り、独立に貢献したとして国家英雄に認定された宗教指導者である。
この映画はスギヤを中心に据えつつも、彼を英雄として高らかに賛美するでもなく淡々と、彼の周囲に現れる独立派青年、女子学生、華人系インドネシア人家族、日本軍人、オランダ軍人やジャーナリスト等々、宗教や国籍は違えど、激動の時代を懸命に生きようとした人間たちを多面的に描いている。
この映画のなかでは、日本軍は、インドネシア青年を公衆の面前でビンタし、教会の祈りの場に銃をふりかざしながら踏み込む暴虐的な支配者として描かれている。しかしそんな日本軍のなかで将校スズキは、日本に残した妻子を思いつつ、兵隊の暴走をたしなめる人間味ある軍人として強い印象を与える。
日本の敗戦、スカルノによる独立宣言の後、旧植民地復活を画策するオランダに対して、日本軍政期中に軍事教練を受けたインドネシア青年は武力闘争に立ち上がる。独立派青年たちは、旧日本軍から武器を奪取しようと日本軍の兵営に押しかける。混乱を抑えようとしたスズキであったが、独立派青年の放った銃弾によって命を落としてしまう。
ここでこの映画をきっかけに学んだ、重苦しい史実を書き留めておきたい。「スギヤ」の舞台となったスマランでは実際に、1945年10月15日から19日にかけて日本軍の武器引き渡しをめぐって日本軍とインドネシア独立派勢力のあいだで武力衝突があり、民間人も含めて双方に多数の死傷者が出ていたのだ。凄惨を極めたのが、インドネシア武装勢力による、ブル刑務所における日本人虐殺で、149名が殺害され30名が行方不明となった。「スマラン事件」、インドネシアでは「五日間戦争」と呼ばれ、この「戦争」を記載した教科書もある。
ジャワ派遣第16軍の宮元静雄作戦参謀によれば、日本敗戦後のジャワ、バリ島の日本軍死者は1078名。うち自殺、病死、事故死等を除くと、562名がインドネシア側との戦闘によって戦死した。インドネシア側の犠牲者はさだかでないが、数千名という説もある。
戦後の日本・インドネシア関係が、こうした悲劇を背負って出発していることを、我々は忘れてはならないだろう。
スズキの死を描いたシーンにおいて、ガリン・ヌグロホは「スマラン事件」を下敷きに、独立戦争は正義の闘いであったと胸をはるのではなく、「正義」のなかに潜む狂気、ナショナリズムに内包されている暴力を呈示してみせた。彼は映画公開の記者会見で、「この映画の舞台は日本軍政・独立戦争という過去だが、現在のインドネシアが直面している過剰なナショナリズム、少数派への迫害等の諸問題を考えるために製作したのだ」と語っていた。これも、戦後インドネシアに生まれ、育った世代が自分たちの今に照らして、かの時代を語り継ごうという新しい姿勢、といえるのではないか。
(ちなみに、ジャカルタ在住の俳優、鈴木伸幸氏が将校スズキを演じた。彼は同じ時期に製作された歴史大作「スカルノ」でも、インドネシア独立に協力する前田精海軍武官の役を演じている。)