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ここで2000年代に入って、インドネシア・イスラムの指導層主流が「厳格化」している原因について、自分なりの見方を示しておきたい。
2004年に建国史上初めて直接大統領選挙が行われ、1998年のスハルト退陣以降、試行錯誤を繰り返してきたインドネシアの民主化は、一つの峠を越えた。
「イスラム国家の樹立をめざす勢力を軍事・警察力で抑え込んできたスハルト大統領の強権的体制が崩壊し、民主化にともない世俗主義政府が弱体化したことによって、イスラムに対する政府のタガが緩み、世俗主義に敵対意識をもつイスラム勢力が台頭した」という説がある。
しかし、この民主化主因説は「本来インドネシア・イスラムには厳格化、過激化を指向する傾向がある」という前提が存在することによって成立する議論であって、インドネシアのイスラム史を見る限り主流となってきたのは現地の慣習、信仰に柔軟に折り合ってきたイスラムであることを考えると、「インドネシア・イスラムは本来厳格派」という前提が成り立たない。またスハルト政権がその末期、水面下の治安対策において強硬イスラム派を手駒として使う政策をとっていたことも、この説の論拠を弱める。
そうなると「民主化」よりも重要な要因と考えられるのは、「グローバリゼーションの加速化」「国際政治の衝撃」という点ではないだろうか。
1990年代からのIT通信技術の発達は、国境を越えて世界中のイスラム信徒がより一体感をもって結びつく情報環境を作り出した。そうした環境下で発生した2001年の米国同時多発テロ事件、その後の米国によるアフガニスタン攻撃、対イラク戦争は、インドネシア国民のイスラム同胞意識を刺激し、欧米諸国がイスラム同胞に対して不当な攻撃を仕掛けているという反米感情を高めさせた。
そのような感情を抱き、改めて、経済成長により急速に変貌していくインドネシア都市社会の現状を見たとき、西洋近代を堕落させた世俗主義がジャカルタ等の都会に浸透し、自分たちの倫理、道徳を弱体化させているかのような危機意識をもたらしたのではないだろうか。
さらに富裕な中東湾岸諸国、サウジアラビアの政府、財団からの援助がインドネシアのイスラム組織に流れこむという「資金のグローバリゼーション」も、指導層の「厳格化」を加速させる要素となっている。これら資金を得てサウジアラビアの大学に留学したインドネシア青年たちは、ワッハーブ主義と呼ばれる厳格なイスラム信仰体系を学び、「本場の教えを学んだ」(とみなされる)留学帰国者がイスラム組織内で影響力を行使しているという側面を見逃せない。