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国際問題コラム「世界の鼓動」

「厳格化」するイスラムと向き合う

「保守化」への転換という見方

「イスラムは攻撃的、暴力的な教義を説く宗教」という、従来から根強く存在するイスラム元凶説に加担しないためには、事件の背景にある政治・経済・社会的要因や国際政治などをふまえておくことが重要だ。なぜ「変調」が生じているのか、大きな文脈から考えなければならない。

このような観点から興味深い一冊『インドネシア・イスラムの今日:「保守化」への転換の説明』(Contemporary Developments in Indonesian Islam: Explaining the “Conservative Turn)が、シンガポールの有力地域研究機関「東南アジア研究所」から今年、出版された。「インドネシア・ウラマ(聖職者)評議会をめぐる政治学」「近代派組織ムハマディア内部のリベラルと保守派の対立」「南スラウェシにおけるイスラム強硬派の台頭」「ソロにおけるイスラム過激派の形成」など、地域性にも目配りした7つの論文が並ぶ。

巻頭概説にて編者のユトレヒト大学マルティン・ファン・ブリュネッセン名誉教授は、「強圧的ながら世俗近代化を推進するスハルト政権下にあって、少数の原理主義者を除いて、インドネシア・イスラムの主流をなしたのは、リベラル、寛容、開放的な言説であった」と述べている。そして1998年にスハルト政権が倒れ、民主化が進行し、リベラル、保守入り乱れた様々な議論が交わされた時代がしばらく続いた後、今日まで続く保守派優勢傾向が明らかになってきたのが2005年頃、と彼は論じている。この時期、有力イスラム組織の指導部からリベラル派が放逐され、「世俗主義、多文化主義、宗教的リベラリズムはイスラムと両立しえない」というファトワー(裁定)が下されている。

 ここで、イスラムの「保守派」「近代派」という用語の使い方に補正を加えておきたい。そもそも、20世紀初頭中東・南アジア・東南アジアのイスラム世界において西洋近代科学文明の圧倒的な力を前に、旧態然たるイスラム文明に科学的、理性的、合理的対応を取り入れようというのが「近代派」、これまで継承されてきた教義、伝統、習慣を重視するのが「保守派」であった。

 ここで注意を要するのが、イスラムの「近代派」「保守派」が奉じる価値観が、欧米の「近代派」「保守派」のそれとは完全には合致しないという点である。

イスラム近代改革派は、従来のイスラム信仰にはコーランには書かれていない「不純な教え」が混入しているとして「コーランに戻れ」と主張した。

インドネシアの文脈で考えた場合、イスラムが渡来する前に存在した仏教、ヒンドゥー教や自然崇拝、偶像崇拝と融和したイスラムは、本来のあるべき姿からの逸脱と捉えられ、日本の神仏分離、廃仏毀釈のような運動が近代派によって行われたのである。つまり個人の信仰の自由や、異なる宗教との共存、平和を重視する価値観とは相いれない対応が、近代派の一部グループによって主導されたということだ。

20世紀後半に入って保守派のなかで自己改革が進められる中で、異なる宗教、価値に対して寛容であろうとする思想が、保守派組織に属する知識人から唱えられるようになる。その一方、逆に「純粋な」イスラム国家の樹立をめざして暴力行使も辞さない過激な集団が近代派のなかから登場してくるという逆転現象が生じている。

以上のようなインドネシア思想事情から「保守VS近代派」という見方は混乱を招くので、本信においては、①イスラムの教義を世界の趨勢に合わせて柔軟に解釈していくことを主張する「柔軟派」、②イスラムの教えを字義通りに厳格に捉えようと主張する「厳格派」という区分法を、以後用いることにする。(やや余談になるが、西洋近代の幕を開いたのは、中世カソリック教会の堕落、不純を糾弾し「聖書に戻れ」と叫んだルターやカルバン等の宗教改革者であった。今日の言葉でいうところの「原理主義」的な原点回帰思想から近代が始まったのは、歴史の逆説というしかない。)

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2013年12月30日 up date

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