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ところが、このような見方を再点検しなければならないと思うような事態が、近年増えている。「寛容性」の危機を知らせる赤いランプが点滅し始めているような気がするのだ。
世界が「多様性大国」としてインドネシアを評価する大きな理由は、多数派のイスラム教徒が中心となって異なる宗教の平和的共存を図ってきた「宗教的寛容」にあった。しかし、ここに来て、その寛容性に揺らぎが見えるのだ。
ここで問題とする多数派イスラムによる「少数派」への宗教的非寛容は、主に次の三つに大別されよう。
① 女性や性同一性障害・同性愛者に対する差別・ハラスメント
② キリスト教、仏教等異なる宗教に対する圧力・ハラスメント
③ イスラム内で異端視されるシーア派、アハマディア派に対する圧力・攻撃
性同一性障害・同性愛者は、これまでもイスラム教内部で(イスラム教のみならずキリスト教や他の宗教においても)タブー視され差別的な扱いを受けてきた。しかし、彼らへの偏見を除去しようという国際的潮流のなかで、インドネシア・イスラムにおいてもその問題意識が共有され、文学などで取り上げられるようになってきた。イスラム社会のなかで人権意識が高まったがゆえに、従来見過ごされてきた「非寛容」が問題として意識されるようになってきたという見方もできよう。
しかし、②と③は退歩としかいいようがない。②について最近新聞で目にした事例では、イスラム教徒の多い南ジャカルタ区レンテン・アグン町の住民が、ジョコウィ特別州知事の任命により7月に着任した町長を、キリスト教徒であるがゆえに問題視して辞任を要求。ジャカルタ特別州は辞任要求を拒否したが、本来州政府と共同歩調で断固たる姿勢を示すべきインドネシア中央政府のガマワン・ファウジ内相が「適材適所という観点から、非ムスリム地域への異動が最善だ」と発言し、物議をかもした。このほか西ジャワ州ボゴールでも、イスラム強硬派住民の反対でキリスト教会の建設が頓挫するなど、イスラム以外の宗教に対して圧力をかける動きが頻発しているのだ。
③ に関しては、②以上に激しい暴力事件が発生している。
2011年2月に1000人を超える暴徒がバンテン州チケウシクのアハマディア派教会・礼拝場を攻撃、3人が犠牲になったし、この年には26の地方州政府がアハマディア派に対する制限を加える法律を制定した。
2012年7月にはマドゥラ島で暴徒化したスンナ派信者によってシーア派の村が焼き討ちされ、シーア派住人の2人が死亡した。暴力が再び起きることを恐れて、270人にのぼるシーア派住民が避難生活を余儀なくされている。(この国では、イスラム教徒の大半はスンナ派であるが、少数のシーア派信者もいる。)
そもそもインドネシア宗教省は、6つの宗教(イスラム、カソリック、プロテスタント、仏教、ヒンドゥー、儒教)にしか、宗教としての公的な認定を与えていない。ゆえに身分証明証の宗教欄選択肢はこの6つに限られている。これら以外の宗教を信じる信仰集団は、宗教ではなく文化として教育文化省に登録し、身分証明証等の発行を受けることができることになっているが、実際には様々な困難に直面する。
さらに困難が伴うのは、無神論者、無宗教者である。国是5原則「パンチャシラ」の第一原則「唯一神への信仰」からの逸脱とみなされ、1965年の9月30日事件以降、この国でタブー視されてきた共産主義者であるとの疑いをかけられかねないからだ。身分証明証の宗教欄に何も書きこまないことも一応認められてはいるが、そうした身分証明書を所持する人は、行政手続きで面倒なことに巻き込まれるケースが多々あるのが現実である。
人権組織「スタラ(Setara Institute)」によれば2012年にインドネシア全土で371件の宗教・信仰の自由に対する侵害行為が発生している。