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賛助会員 小川 忠
(筆者は国際交流基金のジャカルタ事務所長として独自に情報発信をしている)
最近アメリカのことが気になってしかたない。2016年大統領選の共和党候補に名乗りをあげたトランプ氏の「暴言」がとまらない、にもかかわらずトランプ人気は落ちず、共和党員のなかでは支持率トップというからだ。報道によれば、パリのテロ事件とカリフォルニア州の銃撃事件後、拡がる人々の不安をさらにあおる、以下のような「暴言」の極め付けまで飛び出した。
トランプ氏は報道陣に提供した声明文で、複数の世論調査が、相当数のムスリムが米国人を憎んでいるという結果を示していると述べ、「色々な世論調査結果を見るまでもなく、この憎しみが理解を超えているのは誰の目にも明らかだ。この憎悪がどこから、なぜやってくるのか、見極めなくてはならない。この問題を特定し、理解し、どういう危険を意味するのか理解できるまでこの国は、聖戦しか信じず道理をわきまえず人命を尊重しない連中による恐ろしい攻撃の被害者になるわけにはいかない」と持説を展開。
「何が起きているのか、この国の代表者たちが理解できるまで」、すべてのイスラム教徒に対して米国の国境を封鎖するよう呼びかけた。(2015/12/8BBC News Japanサイト)
もしトランプ氏が大統領になり、上記発言通りの措置をとるなら、インドネシアのイスラム教徒、つまり9割のインドネシア国民は米国に入国できなくなってしまう。その時にこの国の対米感情は、どんなことになってしまうだろう。穏健なイスラムを自認し、東南アジアにおいてISの防波堤になっているインドネシアで反米感情が高まれば、再びテロ組織が勢いを得て、国内にそのネットワークを拡げていく可能性がある。そうなると米国や日本にとってかなりやっかいな事態だ。
もっともトランプ大統領実現の可能性は低いとみているのか、今のところ米国を見つめるインドネシア世論は冷静で、米国大使館にデモ隊がおしかけるような騒ぎは起きていない。もともと最近のインドネシア国民の対米感情はそこそこ安定的に推移していた。
イラク戦争を強行し、インドネシアを含む世界のイスラム教徒たちの反発を招いたブッシュ政権の後で、インドネシア国民の対米感情を一気に改善させたのが現在のオバマ大統領である。彼は二つのカードを切って、インドネシアのイスラム教徒の心の琴線に触れた。
第一はイスラム教徒に向かって、アメリカとの新しいパートナーシップを訴えたメッセージである。大統領に就任した2009年6月、オバマ大統領はエジプトのカイロ大学で世界のイスラム教徒に向かって重要演説を行った。
私は、合衆国と、世界中のイスラム教徒との間で新たな始まりを求めて、ここカイロにやっていました。それは相互利益と相互信頼に基づくものであり、アメリカとイスラムは排除しあう関係でもなければ、競争しなければならない必然性はないという真実であります。むしろそれらは重なりあい、人類の寛容と尊厳に貢献し、正義と進歩の原則を共有しているのです。(拙訳)
欧米に貶められてきたという屈辱感をもつイスラム教徒たちの自尊心をくすぐるツボを心得たスピーチだった。
第二のカードは、少年時代にジャカルタに滞在したという個人的つながりである。上記カイロ演説でも、「数年間インドネシアで暮らし、夜明け前と夕暮れ時にはアザーンの呼びかけを聞いた」と追憶している。さる10月にインドネシアのジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領が訪米し、ホワイトハウスを訪問した際も、オバマ大統領は共同記者会見の冒頭で、ジャカルタの少年時代をなつかしみ、インドネシアには親戚がいること、それゆえに個人的にもインドネシアに親しみを感じていることを語った。