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宗教意識(イスラムへの帰依)に根ざしてテロを実行した者たちの宗教観や世界観を、脱過激化プログラムによって変えさせることは、容易ではない。ここまでは予想した通りだ。しかしテロリストたちの肉声で興味深かったのは、彼らの世界観を変えることはできなくても、行動を変えることはできるという点だ。彼らの声を聞いてみよう。
「脱過激化プログラムの限界を話そう。我々の一神教への信仰、ジハード精神を変えることは不可能だ。しかし反暴力へと態度を変えるのは可能だ。」
「同胞たちは実際大きく変わった。我々全員、考えを改めた。でもそれは国家テロ対策庁の手柄ではない、社会の現実に我々が気づいたからだ。」
「ジハード精神を棄てることは難しい。しかし行動を変えることはできる。なぜなら戦闘ジハードよりも経済ジハードの方が重要だからだ。以前は武器をとって戦うことが重要だと思っていた。でも今は経済ジハードのほうが大事だと考えている。こどもやかみさんを食わさないといけないし、いつまでも失業中ではたちいかない。欲しいのは仕事だ。そうすれば、暴力に関わらなくなるよ。」
「神への愛、ジハード精神を放棄するのは不可能だ。でも爆弾を破裂させるのをやめることは可能だし、実際そうした。」
「インドネシアで戦闘ジハードを敢行するのは有効ではない。インドネシアで効果的なのは宣教(教育)、と考えて、行動を変えた者たちがいる。」
あまりに理不尽でショッキングなテロという行為ゆえに、テロリストは粗暴で直情径行な者たち、という人物像を頭に浮かべがちである。しかし過去のテロリストの心理を分析した研究等を見ると、実はテロリストの内面では彼らなりの合理性に基づいて情勢分析、判断がなされていることに気付く。ただしその判断が、閉鎖的な情報空間、心理空間の中で為されていることに問題がある。
スカブディ報告によれば、テロリストの宗教観、世界観を変えようとするのは、困難であり、時に逆効果を招くという弊害が生じるという。しかし宗教観の転換を求めることなく、現実世界の多様な情報に触れさせることを通してテロリストの内側にある合理性に働きかけ(例えば現在のインドネシアではテロ行為よりも教育や福祉の進展を図ることがイスラムの理想を実現する近道であることを自覚させる)、暴力ではなく別の手段によってその宗教的理想を実現させる選択もありうることを気付かせる手法は、テロの脅威を軽減する上で一定の成果が期待しうるのである。
ちなみに93%の受刑者たちは、脱過激化プログラム担当者や面接官がどれほど深くイスラム教を理解しているかを注視しており、その理解が深ければ深いほど、受刑者の信頼を獲得できる可能性も高いという。やはり「イスラム同胞」の説得の方が、「異教徒」のそれよりも効果的なのである。