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最近、アジア通貨危機の渦中、インドネシア政府の中枢にあって危機の収束にあたった当事者と会う機会があった。
インドネシア赤十字のギナンジャール・カルタサスミタ臨時総裁。日本留学組の出世頭で、インドネシア日本友好協会の会長を長くつとめた彼は、インドネシア知日層の大御所的存在だ。1941年生まれ。1960年にバンドン工科大学在学中に、戦後賠償留学制度第一期生として来日し、東京農工大学に学んだ。帰国後内閣官房入りし、投資庁長官(1985-88)、鉱業エネルギー大臣(88-93)、国家開発企画庁長官(93-98)、経済・金融・産業担当調整大臣(98-99)と、スハルト政権下で10年以上も閣僚のポストにあった。その後も、地方代表議会初代議長や大統領諮問会議委員等を歴任し、この国の重要な政策決定に関わってきたが、ジョコウィ政権の誕生とともに政府から身をひいた。ハーバード大学、早稲田大学、政策研究大学院大学で客員教授をつとめるなど研究者としても国際的に著名だ。
経済テクノクラート、政治家、議会人、研究者と幾つもの顔をもつギナンジャール氏だが、インドネシア史において政治家ギナンジャールがその名を刻むのは、アジア通貨危機の際、経済・金融・産業担当調整大臣として困難な状況に対応したこと、さらに98年5月のスハルト大統領退陣時には、政権延命を図る大統領に対して最終局面で引導を渡す役割を演じたこと、の二つが挙げられるであろう。
このギナンジャール氏に、最近半時ほど懇談させていただく機会があった。そろそろと腰をあげたところで、同氏から「拙著を贈呈しよう。アジア通貨危機に関するものだから読んでみなさい」と以下の2冊の本をいただいた(写真)。
① Ginandjar Kartasasmita, Managing Indonesia’s Transformation: An Oral History , World Scientific, Singapore,2013
② Ginandjar Kartasasmita and Joseph J.Stern, Reinventing Indonesia, World Scientific, Singapore,2015
研究者ギナンジャール氏が、白石隆氏ら日本とインドネシアの研究チームに対して、自身の生い立ち、日本留学時代からユドヨノ大統領諮問委員に至るまでの半生を語った口述史が、①(以下「オーラルヒストリー」とする)である。②は最近上梓されたばかりで、客員教授であったハーバード大学同僚との共著。
両書の読みどころとなるのが、1997年アジア経済危機発生から98年5月スハルト退陣に至るまでの政権内部の動きに関する叙述であろう。特に「オーラルヒストリー」は、権力中枢部にいた人間のみが知りうる、危機における為政者たちの言動、感情が記述されていて生々しい。
国際経済、インドネシア経済の先行きが不透明になってきた今日、この国を襲った18年前の危機をもう一度ふり返るのは意味があることだろうと思い、「オーラルヒストリー」を読み始めたら、目が離せなくなった。インドネシアの政治・経済のあり様をめぐる重要証言の連続だったからである。以下、幾つかの興味深い箇所を紹介したい。