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賛助会員 小川 忠
(筆者は国際交流基金のジャカルタ事務所長として独自に情報発信をしている)
どうも経済の雲行きが怪しい。世界経済についても、インドネシア含むアジア経済についても、あまりいい話が聞こえてこない。9月22日アジア開発銀行(ADB)は、2015年の中国GDP成長率予想を、3月時点で7.2%だったのを、6.8%に下方修正した。中国の景気減速はアジア経済にも影響を及ぼし、アジア新興国全体の成長率は5.8%と見込まれた。これは14年ぶりの低い数字だという。時事電(9/22)によれば、国際通貨基金(IMF)の専務理事も「世界経済の下振れリスクが以前より増している」という認識を語っている。
ADB発表では、インドネシアのGDP成長率予想も5.5%から4.9%に下げられた。昨年ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)新政権が誕生し、新経済政策を本格化することで景気回復が期待されたが、4~6月のGDP成長率は4.67%となり、これは6年ぶりの低水準だった。政府の予算執行能力の低さが景気低迷の原因だという声もあり、大統領は経済閣僚交代を中心に内閣改造に踏み切らざるをえなかった。
リーマン・ショックをものともしない高い経済成長により世界の注目を集め、世界経済の牽引車として期待されていたインドネシアだが、ユドヨノ政権末期からどうも調子がよくない。インドネシア経済の将来に関し、楽観的な見方が強いが、「中進国の罠」にはまったのではないか、という声も聞こえてくる。
8月の輸出額は127億米ドルで前年同月比の12%減少、輸入額の前年同月比は17%減で輸出を上回る落ち込みとなり貿易が振るわない。景気が悪いのにインフレ率が7%を超えて高止まりしていることは、国民の不満感を高めている。2011年を境にルピア安が続いていることも不気味だ。ルピア続落傾向はとまらず、現在は対米ドル14600ルピア台の水準にある。ここでフラッシュ・バックのようによみがえってくる記憶が、1997~98年のアジア通貨危機である。というのは、現在のルピア安は、アジア通貨危機以来の安値だからだ。
もっともアジア通貨危機の時と同じ値といっても、この18年間のインフレで貨幣価値も変わっているので、アジア通貨危機のルピア安がインドネシア経済に与えた衝撃は現在よりもはるかに大きく、逆に現在のルピア安がそのまま危機に直結するわけではない。
とはいえ「アジア通貨危機以来のルピア安」という表現は、市場の心理をざわつかせる。
「アジア通貨危機」。インドネシアの為政者にとっては思い出したくもない悪夢のような記憶だろう。
ヘッジファンドに狙われたタイでは外貨準備が底をつき、為替レートを維持できなくなったことから、1997年7月2日に変動相場制に移行し、タイ・バーツは急落した。タイの通貨・金融市場の混乱は、数週間のうちにアジア諸国に波及し、インドネシア、マレーシア、フィリピンも自国通貨が急落、株価も下落し危機は拡がっていく。同年10月には先進国グループ入りした韓国まで巻き込み、韓国は11月にIMFに支援をあおがざるをえない状況に追い込まれる。その翌年中国を除く東アジア諸国の経済は軒並みマイナス成長となった。
危機に見舞われたアジア諸国のなかでも、最も深刻な打撃を受けたのが、インドネシアであることは衆目の一致するところだ。経済に端を発した混乱は年が明けても終息せず、ついにはこの国で30年続いてきたスハルト政権を崩壊させることになったからだ。
1998年5月13日から14日にかけて、窮乏する生活に国民の不満が爆発し、ジャカルタで大規模な暴動が発生し、華人街が破壊される混乱のなかで、5月21日、スハルト大統領は辞任に追い込まれた。
98年5月ジャカルタ暴動は、ジャカルタに住む邦人社会においても、困難な危機管理の記憶として今も語り継がれている。あまりの混乱ぶりに、多くの邦人とその家族が衝突と略奪が横行するジャカルタを離れ、出国、一時帰国せざるを得なかった。
ルピアがアジア通貨危機以来の安値にあると聞くと、1997年から98年にかけてこの国で生じた大混乱のことを想起してしまう。