NPO法人 アジア情報フォーラム

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国際問題コラム「世界の鼓動」

イスラム・ヌサンタラという戦略

発端は「保守伝統派」の牙城であったが、、、

「NUのアイデンティティー」を考えるためには、その歴史をたどってみる必要があろう。NUの歴史をさかのぼるとインドネシア独立運動史、さらに巨視的にみればアジア近代思想史の流れとつながっていることが実感できる。

そもそも「ナフダトゥール・ウラマ」とは、「ウラマー(イスラム学者)の覚醒」を意味する。今回の全国大会開催地、東ジャワ州ジョンバンは、NU結成の地でもある。90年近く前の1926年に、東ジャワのイスラム寄宿舎(プサントレン)で伝統的な教義を教えていたイスラム指導者たちが集まって、この組織を立ち上げた。

NU創設の契機となったのは、ムハマディヤの存在だ。近代文明を力の源泉として西洋列強が非西洋世界への支配を強めるなかで、19世紀末から20世紀はじめ中東において、停滞状況を打破するためにイスラム改革主義が興り、この思想的影響を受けたインドネシアのイスラム指導者たちが、イスラムと近代文明を折衷した教育を施すために設立したのがムハマディヤである。1912年にジョクジャカルタで設立され、インドネシア民族運動を担う近代感覚を身に付けた医師、法律家、技術者などの知識人エリートを輩出させた。

のどかなジャワ農村にあって、土着の習俗なども取り入れた昔ながらのイスラム教義を教えていた頭の固い保守派長老たちも、イスラム改革を志向する近代的組織ムハマディヤの台頭に「我々もこのままでは立ちいかない」と考えたのであろう。時代の趨勢を読む見識をもつ指導者もいて、NUが作られた。

発端が以上のような歴史であることから、NU=保守派、ムハマディヤ=改革派という図式で語られがちであるが、現在のNUを単なる保守頑迷な集団と見なすのは的外れである。創設後のNUは1930年代に独立運動の一翼を担い、1940年代のインドネシア独立戦争では傘下の組織が対オランダゲリラ戦を戦うなど、時計の針を前に進める役割を演じた。そして現在のNUには、欧米政治思想でいうところの「右翼」や「左翼」にあたる多様な思想潮流が流れこんでおり、「保守」の一語で集約できるような組織ではない。

さらに「保守」という言葉自体に、誤解を生む落とし穴がある。以下の「イスラム・ヌサンタラ」説明で述べる通り、インドネシア土着の文化、習慣を柔軟に取り入れた習合的なイスラム伝統を「保守」するということは、他宗教・文化への寛容性につながり、過激主義、急進主義を阻み、思想信条の自由や人権を重んじる西洋リベラル価値観に共鳴する側面がある。保守派=非寛容、反動的ではないのである。

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2015年9月2日 up date

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