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国際問題コラム「世界の鼓動」

自惚れ鏡としてのインドネシア映画

賛助会員 小川 忠

(筆者は国際交流基金のジャカルタ事務所長として独自に情報発信をしている)

 

就任まもないジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領が、昨年12月スマトラ島パレンバンで開催された2014年度「インドネシア映画フェスティバル」(FFI)に、前触れなく姿を見せた。1955年に始まったFFIの歴史において現職大統領が出席するのは初めてのことで、主催者側のビックリ演出だった。満場の注目が集まる中、大統領は聴衆に語りかけた。

「映画は民族の顔である。これからもインドネシア映画が愛され続けることを願う。」

この大統領の発言を聞いて思い出すのが、日本映画大学佐藤忠男学長の「映画は自惚れ鏡である」という至言だ。「実像」のように思わせながら、自惚れ鏡が映しだすのは、実像から微妙に「美化された自画像」なのである。少なからずアメリカ映画は米国を、日本映画は日本を美化することによって、国民の「あらまほしき自分」を描いてきた。言葉をかえれば、ある民族が「こうありたい」と願う理想像、アイデンティティーの方向性を知りたければ、その国で人気がある映画を観ればよい。

最近、上記の2014年度FFIで最優秀映画賞を受賞した『東からの光 オレはマルク人だ (Cahaya Dari Timur: Beta Maluku)』がDVD化された。すでに劇場では一度観ているのだが、再度DVD版をなぞりながら、インドネシアにおける映画とアイデンティティーについて考えてみた。

 地方紛争後の社会復興を題材に

  対インドネシア文化交流の最前線に身を置く者として、現代インドネシア社会がどういう方向に向かっているか考えることは必要不可欠である。その問いに答えるための材料を求めて、話題のインドネシア映画はできる限り見逃さないようにしてきた。2011年から四年間の観察で、近年のインドネシア映画は大きく言って以下のテーマを扱ったものが増えてきているように思える。

①  インドネシア社会のイスラム化現象

②  軍部独裁体制崩壊、民主化を経験した世代によるインドネシア独立史の見直し

③  地方の視点から見たインドネシアの国民統合

 上記①と②についてはいずれかの機会に述べることにして、③に該当する映画として映画『東からの光』に焦点をあてたい。

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2015年8月2日 up date

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