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2002年に刊行された『岩波イスラーム辞典』初版では、「プサントレン」を以下の通り解説している。
インドネシアにある寄宿制の伝統的イスラム教育機関。サントリ(生徒)から派生した語で、〝サントリのいる所″を意味する。通常、これを主宰するキヤイ、生徒のサントリがいて、キヤイの住居の周辺にサントリの宿舎ポンドックが立ち並び、モスクを含め1つのコンプレックス(集合体)を形成する。(中略)いつごろからプサントレンが存在したかを確定することはできないが、プサントレンがキターブ・クニン(アラビア語の古典的宗教書)を学ぶ性格を明確にするのは18世紀末以降であり、さらにその数が増えるのは19世紀後半である。
つまりインドネシア、特にジャワ島において近代教育が始まる前に、プサントレンは、ジャワのイスラム指導者たちの養成を担っていたのであり、この国の教育史の黎明を告げた社会制度であるといえよう。
ところでイスラム教育機関を管轄する宗教省の統計が、大変興味深い事実を提示している。インドネシアに存在するプサントレン数、寄宿生数の統計である。
1981 |
1985 |
1997 |
2012 |
|
プサントレン(数) |
5,661 |
6,239 |
9,388 |
29,535 |
寄宿生 (人) |
938,397 |
1,084,801 |
1,770,788 |
3,876,696 |
2012/13年統計では、
伝統的イスラム教育を施している機関数 |
18,233 |
近代的イスラム教育を施している機関数 |
5,483 |
伝統・近代をミックスした教育を施している機関数 |
5,819 |
合 計 |
29,535 |
男子寄宿生数 | 1,945,210 |
女子寄宿生数 | 1,931,486 |
合計 | 3,876,696 |
以上の統計から読み取れるのは、プサントレンはインドネシア独特の伝統的教育機関であるが、その数が増えるのは1980年代以降の近現代であり、特にスハルト政権が崩壊しインドネシアが民主化の時代を迎えた1998年以降、その拡大が加速しているのである。
また今日では、全体の3分の1を超えるプサントレンが何らかの形で理数科目や英語などを含む近代教育を施しており、単に伝統的な教えだけに固執しているわけではなく、プサントレンの近代化が進んでいることがうかがい知れる。
そしてバアシルの「プサントレン・アル・ムクミン」のような過激なイスラム主義を説くプサントレンは、全体のなかで極めて限られたものであり、大半のプサントレンは伝統的教育校であれ、近代教育重視校であれば現実とのバランスがとれた穏当な教育カリキュラムを採用している。
インドネシアの教育制度は、教育文化省傘下および宗教省傘下の教育機関という二つの教育制度が併存している。宗教省傘下の教育機関で学ぶ生徒数が全体の2割弱、そのなかでプサントレンにて387万人が学んでいるという事実は、プサントレンが国民教育の一翼を担っていることを示すものといえよう。
さらに国民教育という観点に立つと、「イスラム=男尊女卑」というイメージがあり、イスラム教育機関において女子教育は後回しにされているような先入観があるが、プサントレンの寄宿生数の男女比率はほぼ同率であり、女子教育も男子同様に重視されているのである。
一般的に宗教省傘下の教育機関には、教育文化省傘下の学校に通う子どもと比べて、恵まれない経済状態の家庭の子弟が学んでいるケースが多いと聞く。インドネシア最大ヒットとなった小説・映画『ラスカル・プランギ』はまさに貧乏な家庭の子どもが、イスラム団体が運営する存続が危ぶまれる辺地の小学校に通って、そこで出会った献身的な若い女性の先生によって成長していく物語だった。
日本映画上映会を開いたプサントレン・ヌルル・イマンでは全寄宿生の授業料を無料にしている。そのため教育文化省系の学校に通わせることができない両親が田舎から子どもを連れてきて、このプサントレンに預け、そのまま親も近接する地域に住みついたりするケースもあるという話を、このプサントレンのCEOから聞いた。
独立以来インドネシアは国民教育に力を入れてきた。その結果、初等教育の義務教育化はほぼ達成され、識字率は飛躍的に向上した。今は、中等教育、高等教育の拡大が進行していて、貧しい家庭にあっても子どもたちが社会階層を上昇させるためには教育が大事、という認識が定着しつつある。そのなかでプサントレンはじめとするイスラム教育機関は、貧困層、下層階層の子弟に教育機会を提供することで、インドネシアの国民教育を底支えする役割を担っているといえよう。