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有力プサントレンを訪ねてみると、すでに欧米諸国が支援や交流を実施していることに気づかされる。上述したプサントレン・ヌルル・イマンでも米国が英語教育アシスタントのボランティアを派遣していた。ジャカルタに駐在する米、英国大使のプサントレン訪問を報道する記事も時折目にする。
なぜ欧米諸国がプサントレン重視の姿勢をとるのかといえば、プサントレンが過激なイスラム主義の温床になっているという認識がその背景にある、と考えてよいだろう。よくひきあいに出されるのは、バリ爆弾事件に関与したテロ組織ジャマー・イスラミアの精神的指導者アブ・バカル・バアシルが中部ジャワの古都ソロ近郊に創設した「プサントレン・アル・ムクミン」だ。イスラム法に基づくイスラム国家の樹立をめざすカリキュラムが過激イスラム主義者を育てているとして、警察や軍情報機関が厳しく監視している。
イスラム国立大学ジョクジャカルタ校ヌルハイディ・ハサン(Noorhaidi Hasan)講師によれば、1980年代半ばマドラサやプサントレンといった伝統的なイスラム教育機関のなかに中東から急進的・排外的・過激イスラム主義が流れこんだという。いわば欧米化と並行する、もう一つのグローバリゼーション潮流というべき現象が東南アジアのイスラム圏において発生していたのである。
もっともヌルハイディ氏によれば、2011年の米国同時多発テロ事件、その後米国が始めた対テロ戦争は、インドネシアのイスラム教育機関と中東イスラム過激主義のネットワークを切断、弱体化させたという。
しかし「IS(「イスラム国」)」にインドネシアから数百名が参加していることが明らかになって、あらためてイスラム過激主義の東南アジア・中東ネットワークが問題視されているのである。
プサントレンでは、10代、20代の若者が一つ屋根の下で寝食を共にしながらイスラムの教えを学ぶ。その寄宿制という教育形態がややもすれば閉鎖的空間を形成し、外部からの連絡が断たれた環境の中で狂信的な指導者が、純粋無垢な若者たちに一方的に彼らの教義を吹き込むことで、テロリスト予備軍が形成される。それゆえに、プサントレンをテロリスト養成機関にしないためには、常に外からの風を吹き込ませなければならない。そういう問題意識にたって、欧米諸国はプサントレンへ特別奨学金、留学プログラムを用意し、ボランティアを送りこんだりしている。いわば対テロ政策の一環である。
しかしプサントレンには、それ以上に大きな意味があるように思える。この点について考えるためには、まずインドネシア社会におけるプサントレンの位置付けをふり返って見る必要がある。