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賛助会員 小川 忠
(筆者は国際交流基金のジャカルタ事務所長として独自に情報発信をしている)
この数カ月の国際情勢から、1991年の湾岸戦争や2001年の米国同時多発テロ事件が発生した時のような息苦しさが世界最大のイスラム人口を擁するインドネシアの対外認識に拡がっているような印象をもつ。先日国会でこの国の人びとが今ひしひしと感じている圧迫感が引き金になったのでは、と思わされるやり取りがあった。
インドネシア国民議会防衛外交情報委員会において、レトノ外相が「今後インドネシア外交は地域的にも国際的にも積極的な役割を果たしていく」と言明し、さらに外務省広報パブリック・ディプロマシー局のエスティ・アンダヤニ局長も、「テロとの戦いにおいて、アセアン域内青年たちのあいだに寛容性を育てるために、宗教間対話を計画している」と述べた(「ジャカルタ・ポスト」紙2015/2/13)。同局長は、同種のアセアン・欧州間青年交流を企画していることを付け加えた。
これら外交当局者の説明に対して、国民議会で野党ゴルカルに属するタントウィ・ヤヒア議員が「それでは不十分。『イスラムこそが暴力の根源』という西洋の批判にさらされているイスラム諸国が我々(インドネシア)を頼ってきている。もはや様子見を決め込んでおとなしくしている立場ではない」と注文をつけた。イスラム政党である国民覚醒党のイダ・ファイズイア議員もタントウィに同調して、外務省は世界に向けてイスラム理解促進のための発信を強化すべきであるとして、「IS(「イスラム国」)は真のイスラムではないということを世界に納得させるため、インドネシアは先頭に立たねばならない」と主張した。
こうした国会議員たちの発言の鼻息荒さは、昨今の国際情勢(イスラム過激勢力によるテロ続発→非イスラム圏でのイスラム嫌悪感情の拡大)をめぐる、インドネシア国民が感じている息苦しさの裏返しの反映、のような気がする。
昨年10月のジョコ・ウィドド政権の誕生は、インドネシアの外交力、特にパブリック・ディプロマシーが強化されるのではないかという期待を、国民のあいだに高めたが、ここに来て、「イスラム外交」ともいうべき新しい外交の強化が新政権の課題として浮上してきた感がある。
といっても、「イスラム外交」という言い回しは、外交や国際政治の専門家のあいだで定着しているわけではない。インドネシアの「イスラム外交」という言葉から、以下のような考え方を抽出することができよう。
①インドネシアの国益を増進するために、宗教(イスラム)を外交資源として活用する国際交渉、広報、国際交流
②中東、北アフリカ他イスラム圏諸国に対する国際交渉、広報、国際交流
③(より短期的、今日的視点からは)昨今のイスラム過激派勢力によるテロ問題に対する外交対応
④(上記③の一部として)国際社会に対して、イスラム圏国家の立場を説明し、支持を得るための国際交渉、広報、国際交流