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ここでグナワンは『マホメットあるいは狂信』を、「ヴォルテールの代表作とは呼べないだろうし、実際他の作品のように知られてもおらず、上演機会もない」と評し、グナワンと同じような意見を有する二人の歴史的人物を登場させている。フランスの軍人・皇帝ナポレオン・ボナパルトとドイツの文学者ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテである。ヴォルテール、ナポレオン、ゲーテ。高校の「世界史」授業で学んだ三人の歴史人物の意外な組み合わせに興味をひかれて、今一度歴史上の事実を調べてみた。
1808年10月2日の朝、ナポレオンとゲーテは歴史的な会見を行っている。その時、ゲーテ59歳、ナポレオン39歳。ナポレオンのほうがゲーテよりふた回り近くも若いが、二人が出会った時、まさにナポレオンは欧州において権力の絶頂にあった。正確に言うと、その頂点からころげ落ちる兆しが見え始めていたころである。
すなわち1806年フランス軍はゲーテが宰相をつとめたワイマール公国に侵攻した。神聖ローマ帝国は滅亡、ドイツはナポレオン権力の影響下に置かれた。1807年にナポレオン軍はスペインの内紛に介入して苦戦。このあたりからナポレオンの転落が始まる。
そうした時期にナポレオンとゲーテは出会う。ナポレオンの命令によりヨーロッパの諸侯が集められたエアフルトで、ワイマール公国の主君とともに会議に出席したゲーテは、ナポレオンの宿舎に招かれ、皇帝ナポレオンの謁見が行われた。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を熟読していたナポレオンはその素晴らしさについて詳細に語ったという。
そこで陪臣がゲーテによってヴォルテールの『マホメットあるいは狂信』ドイツ語訳が行われたことを述べると、ナポレオンは「あれは駄作だ」と切り捨てた。「世界征服者ムハンマドがあのような愚劣な言葉を述べるわけがない」と、その不適切さを長々と語ったという会見記録が残されている。エジプトで戦闘を指揮したこともある軍人リアリストであるナポレオンには、イスラム世界に身を置き生のイスラム教徒と接した経験から、ヴォルテールが描くムハンマド像は多分に夢想的で、アルコール濃度だけがやたらと高い安酒のようなものと映ったのだろう。
グナワンもまたナポレオンに同調するように、「ヴォルテールの『マホメットあるいは狂信』は浅薄だし、イスラムへの偏見が存在することは容易に予測できる。その主人公は徹底して一面的だ。つまりこれはメロドラマのような代物、あるいはプロパガンダといってよいかもしれない」と書き記している。