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賛助会員 小川 忠
(筆者は国際交流基金のジャカルタ事務所長として独自に情報発信をしている)
2015年の年明け早々パリで、風刺週刊誌「シャルリー・エブド」襲撃テロが発生した。そして今日(1/25)、新たに「イスラム国」による日本人人質事件の衝撃的なニュースが流れている。これらは、2011年米国同時多発テロ事件のように「文明の衝突」的世界観と反イスラム感情を、再び国際社会にまき散らす契機となるのではないか。そういう暗い予感が胸の奥から湧いてくる。
「シャルリー・エブド」事件について、メディアを狙ったテロ攻撃は、フランスが誇りとしてきた「表現の自由」の危機として巷間語られているが、同時に事件後の成り行きは、欧州が試行錯誤しながら築いてきた「多文化主義」の危機、という性格をも帯び始めている。多宗教国家インドネシアも、「シャルリー・エブド」の衝撃に揺れており、自らの足元の「多文化主義」を見つめなおす議論が交わされている。今回は、日本で紹介されることが少ない、世界最大のイスラム教徒人口を擁する国の有識者が「シャルリー・エブド」事件をきっかけに自らの信仰や社会をどのように捉えようとしているのか紹介したい。
「シャルリー・エブド」事件発生直後は、欧米諸国同様にテロの非道性を糾弾する声が続いた。記者会見でインドネシア政府レトノ外相は「インドネシアは強く今回の攻撃を非難するとともに、犠牲者のご家族に深く哀悼の意を表する。このような暴力行使は絶対に許されてはならない」と語った。同時に外相は海外のインドネシア市民、特に欧州在住の同胞たちに安全に関する注意喚起をおこなった。ごく一握りの狂信的なイスラム主義者のテロによって、欧州において反イスラム感情が高まり、大半の穏健なイスラム系市民に対する嫌がらせ、暴力が懸念される事態となったからだ。
欧州に暮らすイスラム同胞への同情とともに、このような事態をもたらしたテロリストたちへの怒りから、「彼らはイスラム教を曲解している」「彼らは真のイスラム教徒ではない」「イスラムの名を貶めた」という非難の言葉が新聞の投書欄には並んでいた。
しかし1月14日「シャルリー・エブド」誌がムハンマドの風刺画を表紙とする特集号を出すと、様相は一変した。内外に「表現の自由」を貫徹する姿勢を示す目的があったにせよ、なぜイスラム教徒が嫌悪を感じる表現を用いなければならなかったのか。この行為は、同誌とフランス国民に益するものではない。イスラム世界に住んだことがある者なら容易に理解できることだ。イスラム教では偶像崇拝の禁止が徹底していて、イエスや聖母マリア像が配置されているキリスト教会とは対照的に、モスクには宗祖ムハンマドの画像や彫刻はない(写真:イスラム系教育機関のモスク内部)。ましてや宗祖を戯画化するというのは許しがたい冒とく行為、というのが一般的なイスラム教徒の態度である(とはいえこれは一般論であって偶像崇拝禁止の度合いも、イスラム内部でかなり多様性がある)。
宗祖戯画掲載の「シャルリー・エブド」特集号が発行されたという報道を受けて、インドネシア第二のイスラム団体「ムハマディヤ」幹部が「これはどれだけ我々ががまんできるか試験を受けているようなもの、と考えることだ。アナキーな行動をとってはいけない」と自制を促した。
米国同時多発テロ事件以後、世界は米国に対して哀悼と連帯を示すことで団結したが、その後米国が強引にイラク戦争を始めたことで、イスラム世界からの支持を失ってしまった。1/14「シャルリー・エブド」特集号は、それと同様にフランスと同誌に対して集まっていたイスラム世界からの同情を、一挙に失わせてしまったようだ。
フランス革命以降の近代においては、「表現の自由」は「普遍的な価値」とされてきた。それは全く無限定、いつでも、どこでも適用されるべきものなのか、それとも一定の節度(制約といってもいい)が求められるのか。近代の原点に立ち戻って点検すべき時を、21世紀の世界は迎えているのかもしれない。