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賛助会員 春海 二郎
(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)
ヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)を憶えていますよね。1969年から1977年までリチャード・ニクソンとジェラルド・フォードの米政権で国務長官をつとめたあの人です。1923年生まれだから今年で91才になるのですが、”World Order” という本を著したのだそうですね。そのためのPRということもあるのでしょうが、ドイツの週刊誌、Der Spiegelとインタビューを行っており、それが11月13日付の同誌のサイトに掲載されています。かなりの長さで、全部を紹介するのは難しいのですが、むささびの独断で特に面白いと思われる部分だけ抜き出してお知らせします。またキッシンジャーのコメントが一つ一つかなり長くて、英文をつけると読みにくくなるので今回は省きます。ここをクリックすると全文を読むことができます。
インタビューはまずロシアと欧米との間の緊張関係について語ります。キッシンジャーは、3月に行われたロシアによるクリミア併合について、ヒットラーによるチェコスロバキア侵攻と違って、ロシアはクリミア併合によって世界制覇を狙ったのではないのに、欧米はプーチンの考えるところを誤解していると批判します。「ではプーチンは何を考えていたのか?」という問に対して次のように答えます。
プーチンは巨額のお金を使ってソチの冬季五輪を遂行した。あの五輪を通じてプーチンが訴えたかったのは、ロシアが進歩主義的な国家として文化的にも欧米と繋がっているということ、ロシアが欧米の一部であることを望んでいるということだった。だとしたら五輪終了の一週間後にプーチンがクリミアを併合し、ウクライナに戦争をしかけるなどということはナンセンスではないか。なのにそれは起こってしまった。なぜなのか?そのことを(欧米の指導者は)自らに問うてみる必要がある。
つまりロシアが自分たちも欧米の仲間だと言いたかったのに、ソチ五輪の開会式への首脳の出席をボイコットしたりして欧米側がプーチンの意図するところを理解しようとしなかった・・・それがクリミアやウクライナ東部における事態のエスカレーションにつながった。そのことについては欧米にも責任の一端があると言っている。ウクライナの国内情勢についても欧米はロシアと対話をするべきだった。なのに欧米が行ったのは、EUとウクライナの経済協力の促進のように、ウクライナをEUに取り込もうとすることだけだった。そのことがプーチンを欧米から遠ざけてしまった、と言っている。
「プーチンのこれまでの行動を見ていると、自分で自分を窮地に追い込んでしまったようにも見える。要するにロシアとどう付き合えばいいと思っているのか?」という記者の質問に対しては次のように答えます。
憶えておくべきなのは、ロシアが国際体制のなかで重要な部分を占めており、従って使い道のある存在であるということだ。イランとの核不拡散についての協定やシリアをどうするのかという問題も含まれる。このことは戦略的エスカレーションよりも大切なことだ。一方においてウクライナが独立国であり続けることは大切であり、経済や貿易の面でどの国と連帯を深めるかはウクライナ自身が決めるべきことだ。が、あらゆる国がNATOの枠組みの中での同盟関係を持つ権利があるというのは必ずしも全てに当てはまるものではない。ウクライナのNATO加盟についてNATO加盟国がすべて(満場一致で)賛成することがないということは誰だって知っている。
要するにロシアは欧米にとって「使いでのある」(useful)な存在であり、そのような付き合いをするべきだということ、そのために過度にロシアを敵に回すようなことは止めたほうがいい、と。ウクライナをNATOに入れようなどとは考えないほう方がいいということ(のようです)。”useful” という言葉でロシアという国を位置づけようとしている。
次なる話題は「イスラム国」に悩まされるシリアとイラクです。Spiegelの記者が「イスラム国との戦いの最も重要な目的はイラクとシリアにおいて被害を受けている市民の保護にあるのではないのか?」と質問すると、
最初に言っておきたいのだが、シリアの危機を、冷酷な独裁者がか弱い国民を痛めつけているのであり、独裁者さえ除去すれば国民は民主的になる、という考え方には賛成できない。
とキッシンジャーが答える。記者がなおも「シリア危機をあなた自身がどのように定義しようが、シリアで市民が被害を受けていることは事実ではないか」と食い下がると、キッシンジャーは次のように答えます。
そのとおりだ。シリアの人びとは同情されて然るべきであり、人道支援を受ける資格もある。そもそもあの国ではいま何が起こっているのか?そのことについての私の考えを述べてみたい。シリア内戦には三つの側面がある。一つは他人種間の紛争、もう一つは旧態然たる中東の体制に対する反逆であり、そしてアサド政権に対する反政府闘争という側面だ。(欧米の側に)シリアが抱えている問題をすべて解決しようとする意思があり、そのためにはあらゆる犠牲を惜しまないという気があり、問題解決のための体制を作り出すことが可能であると考えるというのであれば、シリア内戦に介入することは可能かもしれない。が、だとするとそれは軍事介入ということを意味し、その結果として起こることに直面する覚悟が必要だ。リビアを見ろ。カダフィを打倒したことが道義的には正しかったことは間違いない。しかし我々(欧米)にはその後に生じた空白状態を満たそうとする意思はなかったということだ。その結果、現在のリビアでは民兵たちが互いに殺し合いを続けているし、国全体が統治不能状態であり、アフリカの兵器庫ともなっているではないか。
リビアについては、前号のむささびジャーナルで掲載した『リビアが忘れられている』という記事と同じようなことを言っているわけですが、Spiegelの記者の「やはり反アサド独裁政権のために欧米は軍事的な介入をするべきだったのでは?」という問いかけに対するキッシンジャーの答えは
私は常に積極外交というものを追求してきたが、そのために必要なことは誰と協力関係を持つのかを分かっているということだ。信頼できるパートナーが必要だということだが、シリア問題に関してはそのようなパートナーはいないと思う。
というものだったのですが、彼はインタビューの別のところで、
シリアの問題についてはロシアと協議するべきだった。お互い(ロシアと欧米)がシリアにおいてどのような結果になればいいと思うのかを話し合い、そのための全体的な戦略を相互に検討し合うべきだったのだ。最初からアサド打倒を叫ぶのは間違っていた。たとえそれが欧米の最終的な目標であったとしても、だ。
と述べて、ロシアとの協調路線を貫きながらシリアのアサド政権やイスラム国に対処するべきであったと主張している。
キッシンジャーが「積極外交」(active foreign policy)というものを常に信奉してきたと述べたことに関連して、Spiegelの記者が「あなたはベトナム戦争において”攻撃的政策”(aggressive policy)を展開したがそのことを悔いることはあるか?」と質問したのに対しキッシンジャーは次のように答えています。
まず忘れないで欲しいのは、あの戦争は私が仕えた(共和党)政権が、前の政権(民主党)から引き継いだものであるということだ。民主党のジョンソン政権によって50万のアメリカ軍が展開されていたのを(自分が仕えた)ニクソン政権が徐々に撤退させ、1971年には地上軍の撤退が終わったのだ。私に言えるのは、我々はものごとを極めて慎重に進めたということだ。戦略的にも私に関する限り最善の道を選んだと言えるし、最善の確信をもってことにあたっていたと言える。
「自分のやったことは絶対に間違っていない」と言っているのですが、Spiegelの記者によると、新しい著書においてキッシンジャーが自己批判をしているともとれる部分があるのだそうです。
あなたは著書の中で、昔は歴史を説明できると考えていたが、現在では歴史上の出来事を判断するに際しては昔よりも慎重(modest)になっていると書いているが・・・
という質問に対してキッシンジャーは
私が学んだのは、歴史というものは、常に新たに発見されるべきものであり、固定的に語られるべきものではないということだ。人生において人間は成長するということを認めるということであって、必ずしも自己批判ではない。私が言いたかったのは、自分の意思一つで歴史をかたち作ることができるなどと考えるべきではないということだ。そのこともあって、私は結果として起こることが分からないのに(他国のことに)介入するということには反対なのだ。
I have learned, as I wrote, that history must be discovered, not declared. It’s an admission that one grows in life. It’s not necessarily a self-criticism. What I was trying to say is you should not think that you can shape history only by your will. This is also why I’m against the concept of intervention when you don’t know its ultimate implications.
と述べている。
「結果がわからずに介入するのはよくない」と言っているくせに、2003年のイラク戦争についてキッシンジャーは賛成していた。「あの戦争だって、その結果として何がどうなるのか明確には分かっていなかったはずではないか」と記者が突っ込むと
あのとき私が考えていたのは、アメリカに対する攻撃(9・11テロ)のあと、アメリカはその立場を明確にすることが大切であるということだった。国連も(イラクによる)主なる違反行為を認めていた。だから私はフセイン打倒は正当な行為であると考えたのだ。ただ私は軍事的な占領によって民主主義を確立しようとするのは非現実的であるとも思っていた。
イラクを爆撃して、フセイン政権を打倒することは「正当」だが、その後の民主主義確立が軍事占領政策によってできるなどと考えるのは「非現実的」だ、と。「なぜそれが非現実的であると自信を持って言えるのか?」(Why are you so sure that it is unrealistic?)と記者が追及する。キッシンジャーの答えは・・・
何十年にもわたって占領政策を続ける気があり、しかも(その国の)人びとがついてくるということが確実であるのなら軍事的占領による民主主義確立も可能だろう。しかしそれはおそらく一国だけでできるような事柄ではないだろう。
というものだった。