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国際問題コラム「世界の鼓動」

「イスラム国家」樹立という誘惑

たとえば国立イスラム大学ジャカルタ校のアジュマルディ・アズラ前学長は、この国の穏健派イスラムを代表する知識人であるが、「コンパス」紙(8/5付け)に「イスラム国」のカリフ制復活論を批判する寄稿を寄せている。

彼によれば、イスラム国は世界のイスラム教徒を糾合し多数派を形成しようという生臭い政治的意図を持っている一方、思想的に見た場合、「超純正主義(ultra-puritan)」「ユートピア主義」的性格を帯びている。

現実への幻滅感が深ければ深いほど、ユートピアへの希求も高まる。イスラム国を、「世直し運動」と捉える若者がインドネシアに現れるのは、一見発展への道を歩んでいる社会の内部に歪みが蓄積されつつあることの反映であるかもしれない。しかし、それは幻想のユートピアに過ぎず、イスラム国が叫ぶ「イスラム法に基づくイスラム統一国家樹立」は実現性にかける「空虚な夢」である、とアズラ氏は断じる。

また「ジャカルタ・ポスト」紙(9/19付け)で、国立イスラム大学バンドン校ヌルロハマン・シャリフ講師が、「イスラム法に基づくイスラム国家樹立」について、イスラム国とは異なるイスラム神学解釈がありうるとして、以下のような趣旨の議論を展開している。

  コーランは、宗教的道徳を啓示する書であり、俗世の法律書ではない。コーランはイスラム法の最も重要な典拠であるが、コーラン以外にもイスラム法の典拠は存在する。さらに、平等と公正の原則に基づき良識によって支えられた良き伝統、それぞれの地での智識、民衆の意見等によって、イスラム法は形成されてきたのである。

 

したがってイスラム法そのものが学派的にも方法論的にも多様なのである。このようなイスラム法発展史と照らしあわせれば、イスラム国の「絶対的な権力者(カリフ)によって画一的、硬直的な掟に基づいた単一国家建設」という主張は、ヌルロハマン氏からすればイスラム本来の教えを歪めるものとなる。

最後に日本社会に向かって再度強調しておきたいのは、インドネシアの今を生きるイスラム教徒の大半は、イスラム国に強い拒否反応を示しておりイスラム国を支持する声は拡がっていないことである。その残忍な暴力性に、「イスラムに対するイメージが悪くなる」と心配する声があちこちからあがっている。

「イスラムは暴力的、非寛容」と決めつけ、「一神教(=イスラム)」と比べて多神教(=日本)は平和的、寛容」という議論に自己満足していると、日本とインドネシアのあいだに高い心理的障壁を築くことになる。この議論に従って世界中のイスラム教徒が寛容であろうとするならば、自らの信仰を棄てざるをえなくなってしまう。しかし現実としてそれはありえない。

イスラム神学のなかに寛容を見出そうとする穏健イスラムの思想的模索に伴走することこそが、我々が取るべき道ではないか。

 

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2014年11月14日 up date

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