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極めて少数とはいえイスラム国に共鳴する層が、インドネシアにおいて確実に存在し、この先も存在し続けるであろうと思われる。根絶するのは難しいと言わざるをえない。
ごく少数の支持者しかいないからといって軽んじてはいけないのは、イスラム国は警察や軍という物理的暴力では除去できない、精神に関わる領域の問題だからであり、インドネシアという国家の存在の根源に関わる思想や価値体系を孕んでいるからである。また別の角度からみると、インドネシアという存在の一部にはイスラム国につながるDNAが含まれているからである。
これを理解するには、独立の歴史を振り返る必要がある。数百年に及んだ西洋による植民地支配時代、イスラムは西洋への抵抗、独立闘争のためのエネルギー源の一つであり続けてきた。19世紀前半スマトラ島で戦われた、反植民地闘争とイスラム宗教改革が融合した「パドゥリ戦争」は、独立闘争の先駆けとして評価されている。同じ19世紀、西部ジャワのバンテン地方では、7回にわたってイスラム指導者によるオランダへの反乱が発生している。こうした反乱には、イスラム国の思想とも通じる「救世主待望、聖戦思想、攘夷思想」などが、その背景にあったと言われている。
20世紀に入り、独立後の国家枠組みについて独立指導者たちが議論を始めた時、将来の独立後の国家像に関しては、1)エスニシティー(民族)に基づく国民国家、2)多民族を包含する領域ナショナリズム、3)宗教に基盤を置くイスラム国家、という三つの可能性が語られた。
結局、領域ナショナリズムによるインドネシア国家が選択されたのだが、独立闘争において大きな貢献をなしたイスラム層の中にはイスラム国家が樹立されなかったことに不満を抱くグループも残った。
このような不満が独立後、地方において噴出し、1948年から62年まで西部ジャワで、49年から65年まで南スラウェシで、53年から62年までアチェで、「イスラム国家」の樹立を求める反乱が続発した。これらの動きは「ダルル・イスラム(イスラムの家)」と呼ばれる。ダルル・イスラムは中央政府によって鎮圧されたが、その後もイスラム法に基づくイスラム国家の樹立を求める声が、合法、非合法両面において間欠泉的に拭き出ている。
こうした歴史経緯ゆえ、この国のイスラム知識人たちはイスラム国問題を極めて真剣に受けとめている。自らの体内に潜む「イスラム国家樹立」への衝動をどう乗り越えていくか。彼らは自らに問いかけ、同胞たちに語りかけている。