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古庄 幸一(理事)
サッカーが好きな、神戸の友人から電話が有った。「ザッケローニ監督がイタリアに帰る時の、羽田空港での会見ニュース見た?」と。七月一日はテレビも新聞も、集団的自衛権の憲法解釈変更一色で、ザッケローニ監督が辞任したことは知っていたが、そのニュースは見ていなかった。
そういえば私が寄稿している雑誌の五、六月号の表紙は、サッカー日本代表選手とザッケローニ監督の絵だったと思い出しながら、七月二日の新聞を見直してその記事を探した。スポーツ欄の下の方に、「ザック監督離日『寂しい』長谷部と内田見送り」との写真付き記事を見つけた。サッカーW杯ブラジル大会で日本は一次リーグ敗退を喫したが、ザッケローニ監督は取材に応じ、日本国民とサポーターに対し次の感謝のメッセージを残していた。「四年間応援ありがとうございました。日本を離れること、とても寂しい気持ちでいます。この四年間沢山のサポーターや日本国民の皆様が、私のことを受け入れてくれサポートしてくれたお陰で、最高の時間を過ごすことが出来ました。私が与えた以上に、皆さんが私に沢山のものを与えてくれたと思っています。四年間皆様に沢山、力を頂きました。応援してくれた皆様の事は永遠に私の心に留まります。ありがとうございます。さようなら」と。空港まで見送りに駆けつけた主将の長谷部誠と内田篤人両選手に対し、「ビッグサプライズ。そこまでやってくれるのか。イエローカードだ。すごくうれしい気持ち。」と笑顔で抱擁を交わし、大きく手を振って母国イタリアに向け旅立った。長谷部主将は、「今日からは友人です。ザックさん!」と心を込めて手を振って別れたとある。ザック監督の顔は、日本人と日本に対し満足した表情と見てとれた。
日本のJリーグは、始まって約二十年しか経っていない。世界の強豪と言われる国は百年以上の歴史があり、文化として根付いている。四年前にサッカー日本代表の監督として着任したザッケローニ氏は、この言葉も文化も違う国で、しかも世界の色々な国で活躍している選手達とどう向き合って、戦士として鍛えあげたのだろうか。最後のメッセージの中で彼が言っている「日本国民が私のことを受け入れて、サポートしてくれた」「私に沢山のものを与えてくれた」「沢山力を頂きました」これらの言葉に尽きるのだろう。彼は自ら日本人の中に入り、日本の素晴らしさを知ろうと勉強し、日本を愛し選手を愛した。
現役時代常に指揮官は如何にあるべきかという、指揮官像を求めていた。太平洋戦争で日本海軍と戦った米海軍太平洋艦隊司令官ニミッツ提督は「我々はリーダーシップで日本海軍に勝った。」と言っている。米海軍におけるリーダーシップは「指揮官として部下の心からの服従を得るためのアート(技術)」と教えている。指揮官は部下を生き物として科学的に捉えて、人間心理学、人間行動学あるいは組織論や管理論から分析して、如何に自分の考え通りに動かすかを導き出している。だからリーダーは自らを組織そのものという考え方に立っていた。一方日本の指揮官は「リーダーは如何にあるべきか」と、指揮官自らの能力や人格教養を高めることを求め、部下を感化していく。即ち多くの指揮官はチーム・組織の一員として村長的在り方を求めていた。
指揮・監督は、それぞれの国の文化・伝統の上に成り立っている。従っていずれの方法が優れているかではない。ザッケローニ氏はイタリア人としての自分を殺し、自らを日本代表の一員として日本人的な監督像を求めていた様に思う。常時トップダウンで欧米的にチームを引っ張るのでなく、レシフェで休養日を与えたり、主将はじめ選手の意見を取り入れ日本的に鍛えたと聞いた。監督というよりチームの歯車として、日本人選手に対して目標を示し、如何にしてそれを達成するか考えさせながら感化する道を選んだ。その結果四年間で五十五試合、三十勝十三敗十二引き分けという成績を残している。何よりも日本人とサポーターの心も掴み、日本中を沸かせた。
「ありがとうザックさん」