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スバルジョやディアにとって、インドネシア独立とは自らの命をかけた、それだけ思い入れも深い創作物なのであり、それゆえに独立はインドネシア国民自らの手で勝ち取ったものであらねばならず、そこに日本人が関与していたことは、最小限のものとしてとどめておきたかったのであろう。さらに「日本からの贈り物としての独立」を拒否し、日本の同意抜きの即時独立を求めて突き上げてくる急進青年グループの手前、スバルジョは、日本人が関わっていたとは言いにくい立場でもあった。
ウェンリ氏が近著において西嶋証言を取り入れたのは、こうした当事者たちの世代が去って、その後の世代の研究者たちが、より冷めた目で歴史を俯瞰できる環境がこの国のなかに拡がって来ていることを意味するのかもしれない。
以上、インドネシアにおいて前田海軍武官がいかに語られているか調べることで自分なりに確認できたのは、1945年8月15日から17日にかけて、主役、わき役がめまぐるしく入れ替わり、様々な主体が思惑をもち、発言し、行動し、かけ引きを繰りひろげる複雑な過程において「歴史」が造られていく、その流体力学である。あらためて、ひとつひとつの資料を読み、現場に立ってみると、「正義/不正義」とか「親日/反日」という単純な二分法ではこぼれ落ちていく、からみあった事実の連なりの膨大さに驚かされる。
一度はこぼれ落ちた事実を掬いあげ、記録し、整理し、保存していく地道な営為の大切さを痛感する。