NPO法人 アジア情報フォーラム

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国際問題コラム「世界の鼓動」

インドネシア独立と海軍武官前田精

賛助会員 小川 忠

(筆者は国際交流基金のジャカルタ事務所長として独自に情報発信をしている)

「アドミラル前田をどう思いますか?」

 8月17日は、インドネシア独立記念日である。日本国民にとって、8月15日が戦乱による夥しい犠牲者への鎮魂に思いをいたす特別な日なのに対して、インドネシア国民にとって8月17日は建国の理念を反芻し、独立の父たちの志を考える重要な一日だ。そしてインドネシアでは、1945年8月15日から17日までの3日間は、ひと続きの歴史ドラマとして理解されている。

 1942年1月から3月にかけて日本軍は蘭領東インド(現インドネシア)に侵攻、占領し、3年半にわたり軍政支配した。私がこの国に最初の駐在をした1989年から1993年には、日本による占領を実際に体験した歴史の生き証人たちが、インドネシアにも、日本にも少なからず存命だった。

 「近代インドネシア語の父」と呼ばれ、日本軍政を題材とする小説も発表していた文学界の巨峰タクディル・アリシャバナ先生からは直接、日本軍政期に彼が手掛けたインドネシア語整備委員会での仕事について話を聞く機会もあった。当時御年80をこえておられたが、日本軍政とインドネシア語整備委員会の日々での記憶は明瞭で、あやふやなところが一点もなかった。若き日の強烈な体験だったのであろう。

しかし、今では日本占領を知る世代は、ほとんど姿を消してしまった。歴史の舞台が回転したことを実感する。

そうした中で、歴史の生き証人たちから彼らの「物語」を聞いて育った世代(つまり私と同世代の50代)、さらにそれ以降の世代は、歴史的記憶をいかに継承しているだろうか。そうした問いを考え始めたのは、2月下旬に国際交流基金の安藤理事長がジャカルタ市内の国立ジャカルタ第16高校を訪問した時からだ。日本語を学ぶ高校生たちと理事長の懇談の席で、幾つかの質問があった後、一人の女子高生が手をあげた。

「アドミラル前田について、どうお考えになりますか?」

「アドミラル前田」、すなわち日本軍政期にジャカルタに置かれていた海軍武官府の前田精(ただし)武官(少将)に関しては、日本ではほとんど知られていないが、インドネシアでは教科書にも登場して、個人名が記憶されている数少ない日本人の一人である。そのことは知識として知ってはいたが、上記高校生の質問を理事長に通訳しながら、「まさしくこのことか」と感じ入った。

日本陸軍と海軍は広大な蘭領東インドを、分担領域を決めて軍政を敷いていた。ジャワ島は陸軍が担当していたが、陸軍との連絡調整を行うために、海軍はジャカルタに海軍武官府を設置しており、前田は1945年8月この海軍武官府の主だった。

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2014年8月18日 up date

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