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ここに当事者、研究者のあいだで争点となっている問題がある。独立宣言文の起草に、日本側出席者が関与したか否かという点である。
軍政監部の西村総務部長との折衝が決裂し、前田武官邸にスカルノ、ハッタらが戻り独立準備のための会議が始まった時、その場にいた日本人は前田武官のほか、彼の部下だった西嶋重忠(戦後は企業人、在野の研究者としてインドネシア地域研究に貢献)、吉住留五郎(インドネシア独立戦争に身を投じ、東ジャワで戦病死)、三好軍政監部司政官(外務省出身、陸軍側の立会として直前に招き入れられる)の4人である。
エアランガ社版教科書には日本側出席者の記述がなく、独立宣言文起草記念博物館の説明では、前田は出席するも途中で二階の自室に戻っていったというだけで、日本側が具体的な文章作成に関与したと印象付ける説明はない。これらインドネシア側の記述は、会議に出席し、後に回顧録を出版したスバルジョやディアの証言に拠るものと思われる。
今年、独立を実体験として知らない若い世代のジャーナリスト、ウェンリ・ワハル氏が『日本の情報部員の軌跡:吉住留五郎、反逆の物語』をコンパス社から上梓した。上述の通り一時期海軍武官府に勤務し、前田の部下だった吉住留五郎に焦点をあて、戦前、日本軍政、インドネシア独立戦争の激動の時代をテーマとしている。
同書の最大の特徴は、海軍武官府の西嶋重忠による証言を採り独立宣言文起草過程において日本側の関与があったことを認定している点である。ポイントは、独立宣言文案に加えられた修正だ。
最終的にまとまった独立宣言文は、以下の通りの短文である。
「我々インドネシア人民は、ここに我々の独立を宣言する。権力の移譲、その他に関する事項は、適切な方法によって可能な限り短時間に解決されるものである。」
この中にある字句「権力の移譲」について、原案では「権力の奪取」であったという。ウェンリ書は、その修正経緯を以下の通り記述している。
彼〔西嶋〕によれば、日本軍を怒らせないという理由から修正が行われたという。「もしインドネシアが強制的に日本軍から権力を『奪取』しようとすれば、日本とインドネシア両陣営の紛争は避けられない。連合軍に敗北したとはいえ、その時点でインドネシアに駐留していた日本軍は無傷の兵力を維持したままだったからだ」と西嶋は語った。
このようにウェンリ書は、従来インドネシア側の証言、研究において黙殺されてきた西嶋重忠他、日本側の証言を取り入れたものとなっており、さらに後藤乾一、林英一氏他、近年日本で発表された歴史研究の成果も参照されている。