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国際問題コラム「世界の鼓動」

インドネシア独立と海軍武官前田精

  この教科書287頁には、色枠で囲った前田に関する記述があるので、以下、翻訳してみる。

日本帝国海軍の前田精少将は、太平洋戦争期に蘭領東インドに駐在し、インドネシア民族の闘いに共感をもっていた将官である。インドネシア独立宣言において彼が果たした役割は大変重要である。個人として彼は自らの邸宅を独立宣言起草のために使用することを認めて、宣言を発することを支援したからだ。同氏は、独立指導者たちの安全を保証するのをためらわなかった。この切迫した時局において、前田は高貴なる徳義を示したのだった。

つまりインドネシア側指導者たちが前田に恩義を感じるのは、軍政当局(陸軍)の憲兵隊に踏み込まれる恐れがない、安全な空間である海軍武官宅を宣言起草の場に提供したことにある。海軍武官府は、陸軍の管轄区域ジャカルタにあって治外法権的存在だったのだ。

 ジャワ軍政の責任を負う日本陸軍の軍政監当局が独立を許可しない状況にあって、あえて独立宣言を発しようとすると、憲兵隊によって逮捕される可能性がある(とインドネシア側は考えていた)。そこに前田が救いの手を差し伸べた。日本軍に現状維持を厳命していた連合国側の意向に逆らって独立に協力することは、後に連合国から訴追されるリスクを、前田個人が抱えることになる。そのようなリスクがあるにもかかわらず、独立指導者への信義を重んじて彼がとった行動は、独立への大きな貢献、とインドネシア側は評価するのである。

 前田武官の写真独立宣言文が練られた前田海軍武官の官邸は、今は独立宣言文起草記念博物館となっている。町の中心ホテル・インドネシアに近い、高級住宅街メンテン地区の一角にある、瀟洒な邸宅だ。

(写真:独立宣言文起草記念博物館に掲げられた前田武官の写真)

 この博物館のパンフレットによれば、8月16日から17日をまたぐ深夜、前田邸及びその前の通りには40~50人の独立指導者、青年たちが集まっていた。パンフレットの書きぶりは、前述教科書の叙述とほぼ一致する。軍政部の西村総務部長宅から失望しつつ前田邸に戻ったスカルノ、ハッタ、スバルジョ、前田、三好〔俊吉郎軍政監部司政官〕は直ちに討議を開始したとして、以下のような印象的な情景が描写されている。

 民族運動指導者が断固拒絶したのは、日本が連合軍に降伏する際の引継ぎ目録の一つとしてインドネシアが扱われることである。それゆえに彼らが主張したのは、「今こそ独立を宣言し、自らの運命を自らの手で決める権利を有していることを海外の人々に示すのだ」という決意だった。前田は、彼らの主張を静かに聞き、いつの間にか、ほとんど気づかれることなく二階の自室に辞去したのであった。

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2014年8月18日 up date

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