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さて、今回の選挙では旋風が吹いた、としかいいようがない。勝利者のジョコウィではない。プラボウォの旋風である。
半年前には泡沫候補に近い扱いさえ受けていたプラボウォが、圧倒的な人気を誇っていたジョコウィを猛追し、接戦にもちこんだ要因には、よく言われるように、政党、宗教団体、組合等既存の集票マシーンが機能したことや、あざといまでの中傷キャンペーンが一定の効果を発揮したことを挙げることができよう。だがそれ以上に注目すべきは、本来ジョコウィが得意としていたはずの国民感情、国民世論を獲得する競争で主導権を握ったことである。
スハルト政権下のエリート軍人時代の人権侵害ゆえに、世論獲得競争において、クリーンな民主的市民派ジョコウィと比べてハンディが大きいはずのプラボウォが、いかにして互角の戦いを演じたか。今回大統領選挙の最大の意外性は、プラボウォがその弱点を強みに変えたことにあったのではないだろうか。
というのは今回、選挙民の投票行動に影響を与えたと思われるのが、本通信前号で紹介した「スハルト・ノスタルジー」と呼ばれる国民感情のうねりである。前号では選挙期間中だったので書くのをさし控えたが、「スハルト・ノスタルジー」で大きく得点をかせいだのがプラボウォだ。1998年の政権崩壊以来、否定されるべき対象であったスハルト大統領の時代を懐かしむ風潮が近年インドネシア社会に拡がってきた。これに着目し自らを「強い指導者」と演出することで、プラボウォは「スハルト・ノスタルジー」を味方につけることに成功したのである。
そして、これも前号で書きとめた通り、スハルト・ノスタルジーが浸透する原因が、単に現政権への不満や民主化疲れにとどまらず、近代化、開発による根源的な社会変容、これにともなう社会的紐帯の喪失感、社会の基本的価値揺らぎへの危機感に根ざしているとしたら、プラボウォ旋風は、この国で今、大きな思想潮流の転換が起きつつあるのを示す前兆といえるのではないだろうか。
ここで自分の目撃体験として脳裏に甦ってくるのは、1980年の米国大統領選挙である。1980年8月から米国中西部カンサス州に留学して、この歴史的な選挙戦を草の根の現場から眺める機会があった。あまりに強烈な反ソ・反共主義者で本気で核戦争を始めるのではないかという危惧ゆえに、当選はあり得ないと目されていたレーガン候補が、あれよ、あれよという間に選挙民の心をつかみ、地滑り的勝利をおさめた。この勝利は、60年代のリベラリズムから80年代の新保守主義へと、米国の思想潮流が逆転する分水嶺となった。猛威を奮ったプラボウォ旋風は、これまで民主化を牽引してきた中間層の保守回帰という歴史的岐路にインドネシアが立っていることを意味するのかもしれない。
ところで排外的な昂揚感を伴う愛国主義を鼓舞するプラボウォの選挙に、米国人コンサルタントがついているというのは、一つの逆説だ。
「テンポ」誌(7/6付け)は、「プラボウォの米国人選挙コンサルタント」と題する記事で、プラボウォの選挙参謀に、ジャカルタ在住の米国人実業家ロン・ミューラーが存在することを紹介し、ミューラーへのインタビュー記事を掲載している。さらに同誌記事によれば、プラボウォは米国人選挙コンサルタントのロブ・アリンとも契約を結んでいるという。アリンの顧客には米国ブッシュ(子)大統領も含まれており、ブッシュのテキサス州知事選挙を扱ったのだという。
同誌の続報(7/13)は、「『ジョコウィは中国系でキリスト教徒』という中傷キャンペーンは、2008年米国大統領選で流された『オバマはアフリカ系でイスラム教徒』キャンペーンの完全な焼き直し」という識者の指摘を報じた。
プラボウォは単なる腕っ節の強い軍人出身の政治家ではなく、端倪すべからざるメディア戦略家である。そして、「愛国主義者」の彼が、中傷戦術も含めてメディア選挙のノウハウを、米国現代政治の土壌で発達した巨大メディア選挙戦術から吸収したとするなら、これも負のグローバリゼーションの一側面かも知れない。