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公権力の腐敗や縁故主義など現在「問題視」されている問題のほとんど全てが、スハルト時代にも深刻だったことを考えると、どうして「昔は良かった」となるのか理解に苦しむところである。しかしスハルト・ノスタルジー現象をオブラートに包んでいるのは、一昔前の過去への懐かしさという甘美な情緒にほかならず、重厚な史実の考証作業に基づくものではない。ここで以前に読んだ米国のベストセラー書を思い出した。
フレデリック・ルイス・アレンの “Only Yesterday: An Informal History of the Nineteen Twenties”(邦題『オンリー・イエスタディ 1920年代アメリカ』ちくま文庫)。大恐慌発生の2年後に書かれた同書は、1920年代の米国社会の変化を万華鏡のように描いた米国現代史の名著である。
著者のアレンは、「アメリカの世紀」の到来、その後米国から世界に広がっていく大衆社会の出現という巨大な事象を、歴史家の巨視的アプローチを採りつつ、ジャーナリスティックな筆致で詳述している。そして、同書がなぜ米国でベストセラーになったかを解くカギは、同書全体に通奏低音のように流れている「昨日のような過去」へのノスタルジックな感情である。
含蓄に富む文章を、アレンが序文に書き残しているので、書き留めておきたい。彼は、「現代史とは、決してdefinitive(固定的、限定的)なものではない」と述べている。歴史には、「いつ?」「何が起きたか?」という事実認定の部分と、それがどのような意味をもつのかという評価・解釈の部分がある。前者において新事実の発見という形で歴史が塗り替えられることがあるし、後者においても体制転換・革命や思想潮流の変化により評価・解釈に変更が加えられることがしばしばある。アレンが述べるように、生乾きの事実の堆積である「現代史」は固定的なものではない。
すなわち手練れの雑誌編集者でもあったアレンが明確な意図をもって目指したのは、「読者がつい昨日おきたことのように感じている一連の出来事、状況に関して、歴史の仮装をほどこしたかたちに紡ぎ直して」、読者を楽しませる、そういう物語を語ることだったのである。アレンにとって、ノスタルジーは、堅苦しくなりがちな歴史本の読者を楽しませるために必要とした、語り部としての職人芸なのだ。
それではどのような状況において、人々はノスタルジックな感情を刺激されるのか。
英語Nostalgiaは、そもそもギリシア語で「帰郷」を意味するNostosと、「痛み」を意味するAlgosを組み合わせて、17世紀に医学者によって造られた言葉で、そもそも故郷を遠く離れて欧州各地で転戦していたスイス傭兵の、望郷の念やみがたいホームシック状態を指す精神病理学の専門用語だった。
このことからもノスタルジックな感情の発生には、幾つかの要素が絡んでくるように思える。①かつて自らが感じた幸福感、②その幸福感を感じた時と現代のあいだに断絶が存在するという時代感覚、③一定の時間幅のなかで何か貴重なものを失ってしまったという喪失感、④今自分がいる場所は本来いる場所ではないというアウェイ感覚と古巣への帰巣本能等である。
国内的には「開発の父」と呼ばれ、国外から「開発独裁体制」の中核と見られたスハルト大統領の時代に、インドネシアでは今日まで続く巨大な社会変容が始まった。伝統的な村落社会から工業化社会への転換、地縁・血縁社会の解体と農村から都市への人の移動、新中間層の拡大、海外への労働者送り出しなどである。
そうした社会変容によって獲得したものは大きいが、同時に失ってしまったものも大きい。先祖伝来の土地に根ざし、共同体の一員として生きる伝統的な暮らしもその一つだ。このような喪失は、実はスハルト時代から本格化していたのであるが、中高年世代のあいだには、今との比較において、スハルト時代にはまだ「古き良き隣人とのつきあい」があったことのみが記憶されている。
社会変容が巨大であればあるほど、過去へのノスタルジーも強い思念となる。
インドネシアでは現在、5年に一度の大統領選挙が戦われている。思ったほどには盛り上がりに欠けるという印象をもつ今回の選挙戦だが、正副大統領候補のTV討論が行われるなど、次第に7月9日の投票日に向けて社会的な関心は高まってきているようだ。そして、この選挙で選挙民の投票行動に無視できない影響を与えそうなのが、ここまで述べてきたスハルト・ノスタルジー現象である。
スハルト・ノスタルジーが、単に現政権への不満に起因するにとどまらず、民主主義という制度そのものへの懐疑から派生しているとしたら、大統領選挙後の新しい政権の誕生という政治状況においても尾を引くものとなろう。さらにこの現象が、伝統的村落社会から情報化都市社会へのインドネシアの変容という、より根源的な事態、そこから生じている喪失感に根ざしているとしたら、その影響は今後この国において、一層長期的、広範なものになると予想する。