NPO法人 アジア情報フォーラム

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国際問題コラム「世界の鼓動」

最後の敬礼

 

古庄 幸一(理事)

海上自衛隊幹部候補生学校(広島県江田島市・旧海軍兵学校)の卆業式に招待され出席した。今期の卒業生は、昨年の四月に防衛大学校と一般大学から海上自衛隊に入隊し、幹部候補生として教育を受けた一七三名(うち女性一九名、タイ王国留学生一名)だ。一年間の修業を終え卆業と同時に三等海尉に昇任し、三等海尉の階級章を付けた真新しい制服に着替え、卆業証書を左手に持ち、軍艦マーチで行進しながら、表桟橋(海軍時代から海の桟橋が正門とされている)に向う。卒業生は待機していた交通艇に乗り、海上幕僚長、学校長をはじめ多くの家族や友人に見送られ、沖合に錨を入れている練習艦に乗り組み、これから約七ヶ月間の練習航海に出発する。筆者も四十五年前に彼らと同じ様に、交通艇の上から世話になった赤レンガの学校に感謝の気持を込めて最後の敬礼をして、船乗りとしての新しい航海に出た日のことを思い出していた。この時以来卆業とは、新たな出発であり始まりだと自分で決めている。

最後の敬礼の話しになると必ず思い出すことがある。それは尊敬する先輩(K海将)の退官行事だ。K海将はスマートでユーモアに富み、目先きが利いた部下思いの指揮官としての品格を備えた海軍士官(幹部海上自衛官とは表現したくないので、敢えてこう書く)だった。

K海将からは多くの指揮官としての有り方を学んだ。例えば部下幕僚の報告に対して先ず「オーそうか」と聞き、決して最初から「駄目だ、No」と言わない指揮官像。自分の意見と異なる報告に対しては、「そうだな。しかしな、○○は○○ではないか。こうした方が予算的にも時間的にも良いのではないか」と指導する、いわゆる「イエス、バット」で部下の能力を巧く育てる指揮官。しかし大事な時の決心は早かった。

平成七年一月の阪神・淡路大震災では、発災後の午前八時前には護衛艦を、呉から大阪湾に向け出港させた。「兵庫県知事からの要請も無いのに何故艦を出したのか」と言った時の大臣に対して、「あの艦は私隷下の部隊です。訓練として出しました。不都合が有れば何時でも反転させます」と。しかし艦は夕方には神戸沖に着いて、道路が寸断された阪神地区の情報収集と人命救助に一早く海上から行動を開始した。これも日頃から「災害派遣時の出港は脱兎の如く、撤退は処女の如し」と指導していた証の一つだ。

そのK海将が定年を迎えた退官の日、多くの隊員と一緒に見送った。隊員代表から贈られた花束を左手で持ち、慈愛に満ちた笑顔で答礼しながら正門まで進み、そこで廻れ右をして姿勢を正し、ビシッと敬礼を決めた。見送っていた隊員は、誰言うともなく「有り難うございました」と言いながらK海将に敬礼を返した。号令官が「帽子振れ」と号令を掛けると、K海将はゆっくりと帽子を右手で振って答え、一礼して車に乗り込んだ。このK海将の一つ一つの動作は実に美しく気品に満ち、今でも後輩の中では語り草として残っている。

後日、K海将に「退官の日の最後の敬礼は、素晴らしく格好良く、我々も斯くありたいと話しています」と申し上げたら、「そうか有り難う。しかしあれが最後の敬礼ではなかったんだ。実はな、家で待っていてくれた妻に有り難うと敬礼した。それが最後の敬礼だ。これからは再出発だ。宜しくなと言いながら」と。何と憎たらしい程に泣かせる仕草だなと教えられた。その時以来筆者もこれは頂きだと心に決めていた。そして退官の日、家に着いて先ず、「今まで家を守ってくれて有難う。これから再出発だな」と、K海将の教え通り最後の敬礼を荊妻にした。それから早十年が経とうとしている。

卆業式は一つの区切りであるが、これで終りとしたくないしリセットでもない。次の新しい旅立ちへの出発点としたい。「最後の敬礼」は、「最初の敬礼」と言い替えて次に継ぎたい。船乗りは「百の航海 初航海」と言って、マンネリを戒めると同時に常に新天地を求め続けて羅針盤を見ている。

2014年6月4日 up date

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