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1997年のアジア通貨危機、98年のジャカルタ大暴動とスハルト政権崩壊、2002年と2005年のバリ爆弾テロ、2004年インド洋大津波、2005-06年鳥インフルエンザ流行と10年ちかく社会混乱と自然災害に見舞われ続け、評価を下げたインドネシアであったが、2010年あたりから再評価の動きが国際的に高まってきた。前述した世銀統計も、こうした見方を裏付けるデータの一つである。
インドネシア再評価の転回点となった、上記世銀統計の2005年から2011年の6年間は、まもなく任期が終わるユドヨノ大統領の統治期間と重なる。日本貿易振興機構アジア経済研究所の佐藤百合氏は『経済大国インドネシア』(中公新書、2011年)において、
「過去の『開発体制』〔筆者注:非民主的開発独裁体制〕からの脱却、将来の『開発』に向けたスタート。この二つが、民主主義と開発の相克に悩みながらユドヨノ政権が10年をかけてなし得た経済面での成果になるのではないだろうか」
と述べ、国際的なインドネシア再評価にユドヨノ政権が果たした役割を評価している。
ところが、インドネシア経済の躍進とユドヨノ大統領への称賛の声が国際社会において高まっているにもかかわらず、インドネシア国内にあっては、現状に対する不満と、特に2期目以降のユドヨノ政権に対する批判が飛び交っている。曰く、生活必需品の値上げ・物価高、政府高官・役人の汚職蔓延(最近でも宗教省大臣が巡礼預金の不正流用の疑いで容疑者となり辞任)、経済格差の拡大、決められない政治云々。
これまで様々なアジア諸国を歩いてきた経験則からいえば、「客観的」とされる経済統計は、それぞれの国で生きる人々の生活実感という「主観」と必ずしも一致するものではない。まさに今のインドネシアがそうだ。
外から見れば、右肩上がりの経済成長によって未来は明るくみえる現在のインドネシアで、この国のあり様への不満の声が渦巻いている。軍部独裁が終わり、自由にものが言えるようになり、誰しも平等に大統領を選ぶ機会が与えられたにもかかわらず、民主化への期待は萎み、連日報道される高官の汚職摘発報道に「民主化疲れ」とでも呼ぶべき徒労感が漂っていることは、本通信前号でも触れた通りである。そんな現状への不満の鬱屈が蓄積されているなかで、こうした鬱積が「昔はよかった」という気分と結びつき、民主化によって打倒されたはずのスハルト軍部独裁体制時代を懐かしむ風潮がインドネシア社会のなかで目立つようになってきた。
ジャカルタの街の中心、独立記念塔の前やタマン・ミニ公園のみやげ物売り場には、「私の時代は良かっただろう?」と手をあげてほほ笑むスハルト第二代大統領のTシャツが並んでいる。私の周囲にも、Tシャツの呼びかけに応えるように、「スハルト時代のほうが社会はピシっとしていて、仕事しやすかったし、治安も良かった」と公言するインドネシアの知人が何人かいる。書籍売り場では、彼の伝記など「スハルトもの」の占めるスペースが拡がっているように見える。(写真:書店に並ぶスハルト回顧本)
確かにスハルト政権下にあって経済開発は進み、中間層が拡大していたが、役所に腐敗と縁故主義が拡がり、治安当局による人権侵害が繰り返されるにともない、貧しい者が抱く閉塞感は深まっていたのがスハルト時代であり、こうした陰性の政治体制への怒りの爆発が、当時盤石と思われたスハルト政権の崩壊をもたらしたのではなかったのか。