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アリフ記者はさらに筆を進める。
「2004年アチェと比較して、2011年までに日本は既に大地震、大津波の発生に対する様々な対策を講じていた。三陸海岸には巨大な防潮堤が建設され、毎年防災訓練も実施されていた。こうした防災努力が無かったら、被害はさらに拡大していただろう。しかし十分では無かった。13万人が犠牲になったアチェと比べると相対的に小さいとはいえ、多くの犠牲者が出た。
日本はそこから真面目に教訓を得ようと取り組んでいる。
津波を防げなかった防潮堤に関しても、巨大津波の発生を想定した設計になっていなかったことが失敗であるという専門家がいる。他方、防潮堤というインフラストラクチャーを過度に信頼し、津波に対する市民の警戒心を弱めてしまったことにも問題がある、と指摘する別の専門家もいる。
避難についてもハザードマップにより津波襲来の危険性があることを知りつつも肉親の安否を確認しようと、あえて安全な場所から危険地帯に入って犠牲になった人びともいる。こうした悲しい体験を、どう今後の避難マニュアルに生かしていくか」
記事の最後はこう結んである。
「災害に見舞われる度に真面目に学び、試行錯誤を重ねることで、日本は防災のモデル国になろうとしている。災害が彼らを強くする」
しからばインドネシアはどうなのか? 記事に書かれていないが、彼が言いたいのはこの一点であろう。「学び続ける日本」という見出しも、日本の復興を礼賛するためのものではなく、「災害経験から学ばないインドネシア」に警鐘を鳴らす、という意図が滲み出ている。
ところでこの記事を読みながら、日本における復興のあり方についても、遠く離れた南の地にあって懸念を覚えることがあった。
日本から伝わってくる報道や伝聞から感じるに、個別事情を考慮せず一律に予算消化という基準から、復興を「早い」「遅い」と仕分けして順調に予算消化しているプロジェクトを「復興の優等生」と考える風潮が拡がり始めているような気がするのだ。時間をかけ、手探りでもがきながら得られる教訓、そんな教訓に基づく復興もあり得るのではないか。試行錯誤の復興は「停滞」なのか。