講演依頼、コラム執筆、国際交流企画など、ご相談は無料です
賛助会員 春海 二郎
(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)
このむささびジャーナルが出る頃、ウクライナがどうなっているか見当もつかないけれど、世論調査に見る限り英国人は結構冷めているようです。YouGovという調査機関が行った調査によると、ロシアがウクライナでとっている行動について「正しくない」(not be justified)という人は65%で、「正しい」(justified)という人の8%を大きく上回っていますが、対ロ経済制裁については
無条件で賛成:27%
条件付き賛成:25%
無条件で反対:22%
という数字が出ています。この場合の「条件付き賛成」というのは、「対ロ経済制裁が英国経済にとって悪影響をもたらさないのであれば賛成」ということです。つまり英国経済に悪影響がある(例えば失業が増えるとか)ような経済制裁なら47%が反対ということになる。そうでなくても「無条件で反対」が22%というのは思ったより多いと思いません?
保守派の週刊誌、Spectatorの3月8日付のサイトにマシュー・パリス(Matthew Parris)というジャーナリストがエッセイを寄稿、
ウクライナはロシアに任せた方がいい
と言っている。欧米の世論の傾向として、ロシアはクリミアからもウクライナからも身を引くべきであり、ウクライナは欧米の庇護のもとに民主国家として歩むべきだという意見が強いけれど、パリスによると、ロシアが手を引いたとしてもその後に来るものは欧米が考えているようなものではないだろうとして、3つの理由を挙げています。
まず、クリミアに対するロシアの想い(sentiment)は欧米が考えるよりもはるかに深いものがあるということ。クリミアの管理がロシア・ソビエト社会主義共和国連邦からウクライナ・ソビエト社会主義共和国へ移管されたのは60年前の1954年のことですが、それはあくまでも管理が移行したというだけで、主権がロシアからウクライナに移ったというようなものではない。ウクライナ自体がソ連の支配下にあり、事実上ロシアの一部であったのだからロシア人の感覚からすると、当然クリミアはロシアの一部ということになる。
パリスによると、クリミア占領というロシアの行動も、ロシア人の身になって考えると理解できる(understandable)のであり、アメリカやEUのような外国がロシアに対して撤退の圧力をかけるのは「とても我慢できない干渉」(intolerable interference)ということになる。現在の状況がロシアの事実上のクリミア支配という形で終結しないかぎり、欧米がロシアに圧力をかけ続けるとロシア国内に反欧米感情が根強く残るだけのことで、欧米にとって利益になることはなにもない・・・とパリスは言います。
次にパリスが言っているのは、ウクライナが政治的にも経済的にも「どうにもならない状態」(basket case)の国であることです。パリス自身が10年ほど前にウクライナに滞在したときの印象なのですが、農業は余りにも原始的、工業も超前近代的で競争力のようなものは「ほとんどゼロ」(little sense of competitiveness)であり、これを近代化する過程においては何百万人という失業者を生まざるを得ない。
西独が東独を吸収した際の予想もしなかった苦しみを考えてもらいたい。当時の東独はソ連の圏内でも経済的には最も進んでいた国の一つであったのだ。ウクライナはその反対で最も遅れた国の一つであり、現在でもそのような状態なのである。
Consider what unexpected difficulty West Germany had in digesting East Germany - and remember that East Germany was one of the former Soviet Union’s most advanced economies; Ukraine was (and remains) one of its least.
1980年代の英国はサッチャー革命のお陰で失業者が増大してどうにもならない状態であったけれど、ウクライナに比べれば、あの苦渋に満ちたサッチャー革命でさえもティー・パーティーのようなものだ、とのことであります。欧米諸国の中には、ウクライナをEUに取り込んで欧米からの投資を促進することによって近代化するということを語る人がいるけれど、パリスによると、ウクライナはとても「投資」によって利益を生み出せるような国ではなく、これまでロシアからの経済援助によってのみ生存してきた。「欧米がロシアに取って代わってウクライナを引き受けなければならない理由はない」(Why should we be panting to take the burden upon our own shoulders?)とパリスは主張します。
欧米はウクライナに踏み込むべきではないとマシュー・パリスが主張する三つ目の理由は、ウクライナを欧米のような国にするということは、ウクライナの文化そのものを変えるという作業を伴うものであり、それはウクライナ人自身が行うべきものであって外国から輸入して行うようなものではないということです。アラブの春・イラクの春・シリアの春・・・どれも欧米がそれぞれの国の文化を変えようとしたものであり、うまくいったためしがないではないか、というわけです。
政治的な腐敗を追放し、民主主義を確立しようとするウクライナ国内の勢力の努力そのものは支持するけれど、彼らがどの程度団結しているのか、どの部分のウクライナを代表しているのか、どのような指導層を求めているのかがいまいち分からない。はっきりしていることは、改革の動きは「国内で育ち、勝ち取ったもの」(home-grown, and fought for)でなければならず輸入に頼ったものであってはならないということだ、とパリスは主張しています。