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賛助会員 春海 二郎
(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)
12月5日、マンデラの死去が発表されてからの英国のメディアは文字通りマンデラ一色であったわけですが、当然のこととはいえ、故人に対する称賛の気持ちに溢れたものばかりだった。そんな中でThe Observerに載った
悪は赦されなければならない。忘れるのではない。
という見出しの記事がむささびにとっては気になりました。理由が二つあった。一つはこの記事がマンデラの死後書かれた回想録風の追悼記事ではなかったこと。もう一つは書いたのがアンソニー・サンプソンというジャーナリストであったことです。
アンソニー・サンプソンは1926年生まれ、2004年に亡くなったのですが、25才のときに南アへ行き、Drumという黒人向けの雑誌の編集長を務めると同時にThe Observerのヨハネスブルグ特派員として4年間を過ごした人で、1999年にマンデラの公式伝記 ”Mandela: The Authorised Biography” を書いた人でもある。おそらくマンデラを語らせたらこの人しかいないというジャーナリストだった。
で、サンプソンが書いたこの記事がThe Observerに掲載されたのは、いまから約20年前の1994年5月1日だったのですが、掲載の4日前(4月27日)に南アフリカで実施された初の全人種参加の総選挙で大統領に就任したネルソン・マンデラと南アの今後について報じている。記事の書き出しは次のようになっています。
マンデラが主張している(白人と黒人の)和解はお金には変えられない国宝のようなものである。が、だからと言ってアパルトヘイトの罪が忘れ去られていいというものではない。
The reconciliation which Mandela demands is a pricelessnational asset, but the sins of apartheid cannot be wished away.
この選挙が実現するまでの南アやアパルトヘイトの歴史、マンデラ自身の過去を考えると、あまりにも「赦し」(forgiveness)を言いすぎるのはではないか?という疑問をサンプソンがぶつけるとマンデラは
平和を愛する人間は応報とか復讐を考えてはならない。勇気ある人間は赦すことを怖れない。平和のためなのだ。
Men of peace must not think about retribution or recriminations. Courageous people do not fear forgiving, for the sake of peace.
と強い口調で答えたのだそうです。この選挙を前にマンデラとデ・クラーク現大統領は、アパルトヘイトを維持することに関係した犯罪者に恩赦を与えることで合意しており、和解は法制化されつつあったわけです。サンプソンの見るところによると、当時の南アにおける現実政治の世界では、和解は内戦を避けるための代償のようなものだった。和解をしない限り、内戦に巻き込まれたユーゴスラビアのようになっているかもしれないというわけです。
とはいえ当時の南アの黒人の間では、それまでアパルヘイトを見て見ぬふりしてきた白人ビジネスマンらを簡単に赦し、彼らと交わろうとするマンデラの姿勢に対する不満がくすぶっていたことも事実だったようで、サンプソンは彼のレポートを次のような文章で結んでいます。
(マンデラが議長を務めていた)アフリカ民族会議:ANCは自らが拠って立っている基盤であるルーツを見失ってはならない。先週の選挙であれほどの熱意をもって投票に参加した普通の人々の希望を裏切るようなことがあってはならない。ANCはさらに過去において南アフリカという国が如何に容易にアパルトヘイトの狂気の沙汰に陥ってしまったかということを忘れてはならない。その意味において、赦さなければならないが、忘れてはならないのである。
The ANC must make sure that, in compromising with the machinery of power, it does not compromise on human rightsand decencies. It must not lose sight of its popular roots and the hopes of ordinary people, which were so movingly expressed in last week’s election turnout. It must remember how easily South Africa succumbed to the corporate madness of apartheid. It must forgive, but not forget.
ネルソン・マンデラ関連の記事としてもう一つ読むに値すると思ったのが、南アの黒人小説家で詩人でもあるゼイケス・エムダ(Zakes Mda)という人が12月6日付のGuardianに寄稿した
マンデラは裏切り者でもなければ聖人君主でもない
というエッセイです。エムダのメッセージは次の文章に要約されています。
マンデラは私の国(南アフリカ)を流血から救った。しかし和解という象徴に余りにも力を入れすぎて、南アフリカの本当の経済改革が犠牲になってしまったのも事実である。
Mandela saved my country from a bloodbath, but his focus on the symbols of reconciliation was at the expense of real economic reform in South Africa.
マンデラが大統領になってから黒人の若者たちの間ではまことに評判が悪かったのだそうです。即ち、南アフリカはもとはといえば黒人の場所であったはずなのに欧州から白人がやってきてこれを取り上げたばかりか、アパルトヘイトなどという酷い政策を黒人に押し付けた。マンデラは「和解」の名の下に黒人を白人に売り渡した犯罪人だ・・・という意見は特に貧困層の間では強かったのだそうです。
南アフリカはこれまで平等な社会であったことは一度もない。マンデラが大統領になってからそれ(社会的不平等)は変革どころか強化さえされてしまったのである。
South Africa has never been a place of equal opportunity, and that was reinforced instead of changed by Mandela’s presidency.
ゼイケス・エムダによると、南アの若い黒人たちの幻滅はマンデラが大統領に就任してから始まった。政権政党(ANC)の幹部たちによる富の蓄積は抑制が効かず、党幹部が「反アパルトヘイト闘争の信任状」(struggle credentials)を振りかざしてあらゆる権力を欲しいままにしている一方で、大半の黒人たちは社会の片隅へ追いやられ、相変わらず貧乏な失業者たちだった。エムダには彼らの怒りや幻滅がよく分かると言います。ただエムダによるとマンデラが主張する「和解」によって南アは血まみれの内戦に突入せずに済んだのも事実です。
ゼイケス・エムダのマンデラ観は・・・
私にとってマンデラはあの頃の黒人たちが非難したような悪人ではないし、私と同世代の人間や国際社会がいうほどには聖人君主でもない。彼は巧みな政治家であり、誇大妄想の人々が神様扱いすることには抵抗するだけのアタマの良さを持ち合わせていたということである。
To me, Mandela was neither the devil they make him out to be nor the saint that most of my compatriots and theinternational community think he was. I see him as a skillful politician, smart enough to resist the megalomania that comes with deification.