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古庄 幸一(理事)
夏休みに入り、遊びに来た孫娘<小5>から挑戦を受けた。
「こうじいはニコメをいくらで泳ぐの?夏休みの終りに競争しよう。」
「え?ニコメ?ニコメて何のこと?」
「ニコメ知らないの。200メートル個人メドレーだよ。」
と自信たっぷり。親は色々な習い事をやらせたようだが、好きな水泳だけが続いているとか。2年前から選手コースでプロの先生から本格的な指導を受け、本人は7年後のオリンピックを目指すとも豪語。
水泳は得意だと思っていたが、考えてみたらここ十数年泳いでない。そこで孫には内緒で、以前から誘われていた友達の水泳教室に行き泳いでみることにした。25メートルプールの一コースを借り切って、二人の若い先生に基本的な息継ぎから、足の蹴りや水掻きといった動作を教わるという贅沢な水泳教室である。二人の先生は日本選手権で平泳ぎや個人メドレーで優勝した程のプロという。
S先生から「古庄さん、ちょっと泳いで下さい。平でもクロールでもどちらでもいいですよ。」と言われ、私は「ではクロールで泳ぎます。何せ十数年振りですので宜しく。」と言って潜り、プールの壁を蹴りゆっくりと伸びる事だけを考えて水を切った。自分では長い間泳いでなくても、これだけスムーズに泳げるのかと自己満足。その一方でゴルフはどうして毎回同じスウイングが出来ないのだろうか、と馬鹿な事を考えながら25m泳ぎ顔を上げた。私の泳ぎを見ながらプールサイドを歩いてきたS先生は「古庄さんお年にしては速いし美しいですよ。でも昭和の初めの泳ぎ方ですね。」と厳しい。
子供の頃から泳ぎは好きで、夏になれば朝から夕方まで、川で泳いだり潜って魚を獲ったりの毎日だった。防大時代や海自・幹部候補生学校でも水泳訓練は苦ではなく、8時間の遠泳に備えての事前訓練は、好きで楽しい日課の一つであった。昼食後「午睡始め!」の号令で昼寝をした後に、遠泳訓練が行われていたのを思い出す。遠泳は、4列縦隊の隊伍を組んで8時間泳ぐ。泳ぎ方は平泳ぎというより水澄しである。勿論昼食もトイレも船には上らない。昼食は船縁を片手で掴み、握り飯や香の物を貰って食べ、終わった組から再び列を組み泳ぎ出す。途中で乾パンや氷砂糖が配られる。それを帽子の上に乗せて泳ぎ、適当に水気を吸って柔らかくなったら口に入れる。本来の甘味と海水の塩分が調和した味は今でも忘れられない。
競泳では毎年海上自衛隊水泳大会が行われ、各部隊の選手は大会に備え、早朝、課業後と強化訓練に明け暮れた。しかしその間いわゆるプロに教わったという記憶はない。唯々泳がされ、ストップウオッチと闘っていただけだ。
今回わずか二時間程プロに教わっただけで、一つ一つの基本動作の意味するところが納得できた。水の抵抗を少なくするにはどうするか、推力を増すにはどう水を掴み掻くか説明を受け、そして先生の泳ぎを見て真似をする。すると自分の泳ぎ方がだんだん軽くなり、早くなっていくのが自覚でき不思議だった。「習うより慣れよ」とは色々な習い事で言われてきたが、「慣れる前にはきちんと習え」と言い変えたい。
髪の毛を洗うことすら水を嫌っていた孫が、プロの指導を受けてわずか二年。自信を以って老兵に挑んできたのだ。孫にニコメのタイムを聞いてみた。今の私の泳ぎでは、夏休みが終了するまで練習しても最早勝てないだろう。しかしここで手を上げる訳にはいかない。挑戦を受けた上で「参った。敗けました。」と言おう。
昭和の泳ぎに満足し、驕っていた事が恥ずかしい。水泳に限らず何事も我流でいくら頑張ってもプロに習った者には叶わない事を、今回の体験と孫の成長振りで教えられ、我が身の分と引き際を自覚した。
レベルは違うが日本のお家芸たる柔道会も、今回の参議員選挙で大敗した民主党も、羅針盤をなくしたのか自分の立ち位置を知らないのか、引き際も判っていないリーダーが醜態を演じている。ここにも真のプロが必要だ。(平成25年8月19日)