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国際問題コラム「世界の鼓動」

至近距離から見た中国の文化外交

 賛助会員 小川 忠

(筆者は国際交流基金のジャカルタ事務所長として独自に情報発信をしている)

 さる10月2~3日、中国の習近平国家主席が、初の東南アジア歴訪の皮切りとしてジャカルタにやってきた。当地の新聞を読んでいて知ったことだが、同氏とインドネシアの縁は案外と深いようだ。

 同氏は1985年福建省アモイ市共産党委員会常務委員に就任後、1993年から96年まで同省福州市党委員会書記、2000年から2002年まで福建省長、と17年間にわたって福建省にあって出世の階段を登っていったのだが、この福建省は、インドネシア華人たち父祖の主な出身地として知られている。今も同省は彼らを通じてインドネシアとの経済的な結びつきが強く、こうした国境をこえる人的ネットワークが、習氏にとって対インドネシア外交の重要な情報・ブレーン供給源となっている。本通信前号で書いた「同胞外交」がここでも作動している。

 「中国の台頭」が国際社会の話題になる中、習主席の初インドネシア訪問について、政治、経済面からは様々な論評がなされているが、文化外交、文化交流という側面からはあまり語られていない。

今回はジャカルタでのインドネシア・中国首脳会談とこれに関する報道ぶりなどを材料に、中国がインドネシアで展開する文化外交に関する印象、雑感を綴ってみたい。

中国首脳が発したメッセージ

 「コンパス」紙(10/3)によれば、10月2日に開催された首脳会談で、習主席はユドヨノ大統領に対して、両国民の交流を促進するために、「ジャカルタに中国文化センターを設置」「バリに総領事館を設置」「インドネシアのイスラム指導者たちを中国に招へい」すること等言明した。翌3日にはインドネシア国会で「中国とアセアンはともに地域の平和と安定を維持していく責任がある」と演説し、連携強化を呼びかけた。その内容が日本と東南アジアの文化交流に関わってきた者から見て、なかなかに興味深い。

 この演説において、「中国はアセアン諸国に、より多くのボランティアを派遣し、アセアンの文化、教育、衛星、医療分野を支援すること」「2014年を『中国アセアン文化交流年』とすること」「今後3~5年の間にアセアンに対して1.5万人の政府奨学金枠を提供すること」「今後5年間に中国インドネシア双方が毎年100名の青年を相互訪問させ、中国はインドネシアに千名分の奨学金を与えることについて首脳合意したこと」等の交流に関する具体的提案を行っているが、これら提案に先立ち習主席は微笑みを浮かべてインドネシアの格言を口にしている。

 「金銭を得るは易く、友情をはぐくむは難し。」

 つまり「経済的繫がりだけでは真の友人は作れない」ということだ。政治、経済面と並んで文化交流、国民間交流の重要性を説くこのくだりを述べたところでは、議員席から喝さいの拍手がひときわ強くなったという。演説の最後にも「心と心の触れあい」(原文:心連心)という言葉が、中国インドネシア両国民連携を説くクライマックスの部分で効果的に配されている。

 「心と心の触れあい」。真っ先に脳裏に浮かぶのが「福田ドクトリン」である。これは単なる修辞上の類似ではないような気がしてならない。

1970年代、「経済一辺倒」という批判に直面していた日本の福田首相が発表した三つの対東南アジア外交原則の一つが、経済のみならず文化交流を通じて「真の友人として心と心のふれ合う相互信頼関係を築く」ことだった。

 当時経済大国として国際社会の注目を集めるようになった日本に対して、その発展に比例して、東南アジア諸国からの風当たりも強まっていた。そんな時に、より安定した国際環境を作るために強化が打ち出されたのが双方向の文化交流だった。政治、経済、軍事的に台頭著しい中国が今、文化交流の強化に力を入れているのは、歴史的必然なのかもしれない。

 同時に、これは現時点ではあくまで想像の域内に過ぎないのだが、「中国は戦後日本の文化外交政策を研究し、その中から学ぶべきものを学んでいる」という仮説をたてて検証してみるのも一考の価値がある。

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2013年10月30日 up date

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