NPO法人 アジア情報フォーラム

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国際問題コラム「世界の鼓動」

随想・ウクライナ

会員  元ウクライナ大使 黒川祐次

今回のロシアによるウクライナ侵攻によって、私が2002年に書いた中公新書『物語ウクライナの歴史』が版を重ねるようになり、新書版としては数週間売り上げ第1位となって、20年前の本がベストセラーになるとはとても珍しいと言われました。これは、ロシアの軍事侵攻があまりにもひどいもので世の中に大きな衝撃を与えたことと、それにしてもウクライナとはよく知らない国だが一体どんな国だろうと多くの人が関心を持ったことによるものだと思っています。

私がこの本を書くきっかけは、ウクライナ赴任にあたって外務省でかつての上司だった岡崎久彦大使のところへ挨拶にうかがった際に、ウクライナは面白そうな国だからその歴史の本でも書いたらどうかと勧められたことです。岡崎大使は当アジア情報フォーラムの池田維理事長はじめ多くのメンバーの方と関係の深い方であったので、この本も当フォーラムとは縁があります。

ウクライナに赴任してみて、確かに本を書くに値する国だと感じた理由は主に三つあります。

その一つ目は、ウクライナが大国であり、大きな潜在力を持っていると知ったことです。1991年のソ連崩壊まではウクライナはソ連内の一地方だったので、ウクライナのことは全てソ連の一地方としてのものでしかなく、ウクライナがそれ自体として論じられることはほとんどありませんでした。例えばソ連崩壊以前では、国を持たない世界最大の民族は人口3000万人を擁するクルド人だと一般に言われていました。しかしウクライナが独立してみると、独立当時の人口は5000万人以上でした。このようにウクライナの大きさ、潜在力はソ連の中に隠れていて、世界にはよくわからなかったからです。これは世に知らせる意味があると考えました。

二つ目は、私の赴任当初は、ウクライナが長いあいだロシアの支配下にあったことから、その歴史はロシアの一地方の歴史程度に思っていました。しかし調べていくにつれ、次のような史実がわかりました。すなわち、ウクライナはロシアの亜流では全くなく、中世キエフ・ルーシ国から見ればむしろウクライナの方が「本家筋」でロシアが傍流であること、近世以降は数世紀にわたってロシアに支配されましたが、その間ウクライナはその独自性を主張してロシアの支配に執拗に抵抗し、何度も激しい独立運動を試みていたこと、そしてウクライナ民族はロシア民族とは近い関係にはあるものの違う民族であるとの自覚をはっきり持っていたことがわかりました。従ってウクライナとロシアは違う存在であり、ロシア史の中で付随的に論じるべきではなく、別箇に扱うべきだと思いました。

三つ目は、日本に伝えられるウクライナの情報は多分にロシアのバイアスがかかっていると感じたことです。モスクワには多くの日本の新聞・テレビの支局があり、また日本には多数のロシア専門家がいます。そのレベルは高いのですが、彼らの情報源はロシア人だし、彼らのメンタリタリティーは長い間のロシアとの接触でロシア中心になりがちです。他方、キエフには日本の特派員はいませんし、日本にはウクライナの専門家はほとんどいませんでした。こうしてウクライナについての話はモスクワ経由で伝えられ、それを日本のロシア専門家が解説するということとなり、本人の意識如何にかかわらず、どうしてもロシア・バイアスがかかりやすいということです。これではウクライナから見た事実やウクライナの考えはよく伝わりません。これはフェアでないと思いました。

従って、ウクライナはロシアとは違うというテーマの下にウクライナの歴史を書いたわけですが、依然としてウクライナはロシアの一部だという信念を持ち続けている人物がいます。それがプーチン・ロシア大統領です。
プーチンがどのようにウクライナを見ているのかを、彼の歴史観から見ていきたいと思います。そのことが今回なぜロシアがウクライナに侵攻したのかということに密接に結びついていると思うからです。
今回の軍事侵攻の動機として根幹にあるのは、プーチンの歴史観だと思います。彼の歴史観の根本は、ロシアは歴史的に世界の大国であったが、ソ連の崩壊によってその地位は大きく沈下した、何としてもかつてのような真の大国に戻すべきだというものです。そして彼のいう「大国への復活」には二つの側面があります。一つは、「ルースキー・ミール(ロシア世界)」の復活で、もう一つは世界的な軍事・政治大国としての復活です。

「ルースキー・ミール」については、プーチンは昨年7月の「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」という論文を発表しており、その中で彼はルースキー・ミールの復活を主張しています。同論文はプーチンの歴史観を表わしていると同時に今回なぜウクライナに侵攻したかを推測する手掛かりにもなっています。

プーチンは同論文で、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人はともに中世の大国・キエフ・ルーシ国に淵源を持ち、そこから分かれた三兄弟であって、同じ文化と同じ信仰(ロシア正教会)をもつものであるから、共に一つの「ルシースキー・ミール(ロシア世界)」を作るのが自然だと主張しています。ウクライナについては、「ウクライナの主権はロシアとのパートナーシップによってのみ可能となる」とも、また「共にあることによってロシアとウクライナはより強くなり、またよりうまくやれたし、これからもそうなるだろう。なぜなら我々は一つの民族だから」とも述べています。

なお、この論文ではロシアとウクライナは兄弟だ、一つの民族だと言いながら、両者が対等だとは一言も述べていません。明示的には言っていませんが全体のトーンから察すれば、ロシアの主導権の下での「ルースキー・ミール」であると言いたいことは明瞭です。そしてプーチンはこのルースキー・ミールを復活させるためにもウクライナがロシアの下に戻ることが必要だと言っています。こうして同じ民族で、言語、宗教、文化を共有して気心の知れた三つが一緒になって大国ロシアの核を作ろうと呼びかけています。

プーチンの歴史観のもう一つの側面は、世俗的な意味でもロシアは世界の大国であるべきであり、ソ連の崩壊で低下したその地位を何としてでも復活させなければならないというものです。これは今や彼にとっては偏執的な使命感にまでなっているようにも見受けられます。そしてそのための第一歩として出てくるのがやはりウクライナです。ソ連最末期の1989年におけるロシアに対するウクライナの割合は次のとおりです。
国民所得 26.2%   工業生産 27.0%   農業生産 48.1%
プーチンはこの大きなシェアを持つウクライナを取り込むことが真の大国への第一歩だと考えているようです。結局いずれの面から考えても、ロシアが真の大国の戻るためにはウクライナは絶対必要不可欠で、そのためにはウクライナはロシアと一緒にならなければならないと言っています。

なおプーチンは別のところで、ウクライナがNATOに加入することはロシアにとって深刻な脅威だと執拗に主張しており、これも今次侵攻の理由の一つになっています。確かにロシアがそう思っていることは一部そのとおりでしょうが、上記のように考えると、むしろそれは表向きの理屈であって、本音は一度ウクライナがNATOに入ってしまうと、ウクライナは永久にロシアに戻ってこない、そうすればロシアの真の大国化への夢も潰えてしまうということを心配して言っているのではないかと想像します。従ってこのNATO問題も結局はウクライナ問題に帰着すると言ってもいいのではないかと思います。

常識的に見れば今回のウクライナ侵攻は暴挙だと誰もが思うでしょう。ロシアの政権幹部さえも内心ではそう思っているに違いありません。それでもプーチンの考えからすれば、いずれはやらざるを得ないものだったと考えざるを得ません。独善的な歴史観ほど怖いものはないということでしょうか。世界にはこうした独りよがりの歴史観を持つ国があるかもしれないので、私たちはもっと警戒と懸念を持つ必要があると思っています。

(了)

2022年6月4日 up date

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