NPO法人 アジア情報フォーラム

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国際問題コラム「世界の鼓動」

ドイツも割れている

賛助会員 春海 二郎

(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)

spiegelヨーロッパ各国で行われている「ロックダウン」について、そろそろこれを緩和しようという話が伝わってきているけれど、5月1日付のドイツの週刊誌Spiegel(英語版)のサイトには
ロックダウンの解除をめぐってドイツが割れている
という記事が出ています。いろいろなメディアの報道を見る限り、ドイツでは4月中旬あたりからロックダウンを緩和する動きが出始めているようなのですが、なかなか一筋縄ではいかないようです。

社会分裂が広がっている?

berlinpark最近、クリストファー・ラウアー(Christopher Lauer)というドイツの若手政治家が、ベルリン市内のWeinsbergsparkという公園の風景を写真に撮ってSNSに掲載したところ、25万人もの人がこれを見て、1000件に上るコメントが寄せられて話題になった。写真はたくさんのベルリン市民たちが芝生の上で日光浴を楽しんでいる様子を写したものだった。ドイツ政府によるロックダウンが実施されたのが3月14日、それ以来ラウアーは殆ど外出もせず、外に出るときは必ずマスクを着けるというわけで、忠実に政府の規制を守ってきたつもりだった。なのにベルリンの公園を見ると、ベルリン市民の誰もが政府による規制に従っているわけではないことが分かる・・・と。
berlingateコロナウィルスというと、人と人の間の物理的な距離を保つ「社会的空間:social distancing」という言葉が世界的な流行語のようになってしまったけれど、ラウアーによると、社会的空間によって作られてしまったのは、人と人の間の物理的な距離だけではなく、心理的な距離まで広げられてしまった。親しかったはずの人びとがロックダウンをめぐる意見の相違から冷たい間柄になってしまうというケースが多いということです。ベルリン市民たちの日光浴の写真を載せたSNSへの反響を見ると、いまのドイツを支配しているのが「議論」(discussion)というよりも「怒鳴り合い」(raw debate)であることが分かる(とSpiegelは言っている)。人間同士のいがみ合いはウィルス以上の速さでドイツ中に広がっており、社会分裂まで引き起こしているというわけです。

「規制はやり過ぎだ」

コロナ禍に関する数字を見る限り、ドイツは他のヨーロッパ諸国に比べるとよくやっており、海外メディアでも称賛の的になっている。実際にはフランス、イタリア、スペインなどに比べるとドイツのやり方は、かなりモデレート(穏やか)なものとされている。自宅を出るのにお役所の許可など要らない。最近では政府による規制も緩やかになっている。にもかかわらず死亡率などは極めて低い。その分だけ政府による規制に対する反対感情も低いけれど、それでも最近は「やりすぎ」の声が聴かれるようになったし、経済面への影響を懸念する声も高まっている。集会やデモ・訴訟なども見られるようになったりするなど、政府による規制に対する懐疑論も高まっている。
ウィルス学者のクリスチャン・ドロステン

ウィルス学者のクリスチャン・ドロステン

政治的な議論で見ると二つのグループに分かれる。一方に政府による規制に反対してリスキーな立場をとるグループがあり、もう一方にはメルケル首相らを中心に規制支持グループがあるのですが、このような分裂・対立は社会的にも地理的にもドイツ全体を貫いているようにも見える。政治家やジャーナリストのみならず、隣近所や家庭内においてさえ個人的な意見対立が見られる。要するにコロナがドイツを二分しているということです。

専門家は・・・

ドイツで最も有名なウィルス学者であるクリスチャン・ドロステン(Christian Drosten)という人は、ドイツにおけるこのような分裂現象を身をもって経験しているともいえる。あるグループには大いに尊敬されているかと思うと、別のグループは彼のことを諸悪の根源(main culprit for their misery)と見ており、殺人を予告する脅迫メールまで送り付けたりしている。ドロステン自身は脅迫にもめげず、「社会的空間」のようなルールの厳守をこれからも主張すると言っているし、メルケル政権による規制緩和の動きには懐疑的な態度を明らかにしている。政府のそのような姿勢のお陰で「ドイツ人がコロナウィルスのことをまじめに考えなくなっている(people “are no longer taking the virus as seriously)」と心配している向きもある。
5月8日現在 Johns Hopkins Univ

5月8日現在 Johns Hopkins Univ

Spiegelの記事は、学校閉鎖をめぐる父兄同士の対立、政府からの補償金に対するレストラン経営者の不満等々、世界中で起こっている分裂や対立がドイツにもあることを報告しているのですが、
現代は「妥協なき時代」(age of irreconcilability)と呼ばれているけれど、コロナウィルスのロックダウンに関する限り、ドイツではお互いがそれぞれの言い分を展開するだけで双方を満足させるような解決が見出せていない。
とも言っている。
5月8日現在 Johns Hopkins Univ

5月8日現在 Johns Hopkins Univ

不安感は否定できない

それが現在のドイツの「現実」であるとSpiegelは言っている。政府としてはパンデミックとの戦いを続ける一方でその戦いが生み出す国内対立というダメージを最小限度のものにしようとしているのですが、ドイツ人がロックダウンに伴う規制を以前ほどには積極的に受け入れようとしなくなっている、なのに多くのドイツ人が不安感(feeling insecure)を抱えながら生きていることも否定できない。要するに何もかもがこれまで体験したことがないということから生じる不安感ということです。
これだけだと、ドイツ人の不安感もやむを得ないものであり、メルケル政権を非難することはできないと思うけれど、それでもコロナをめぐる政策転換についての説明が漠然としていたことが国民的な不安感の一因となっていることは否めない、とSpiegelは言っている。
schoollockdown例えば学校閉鎖の問題。最初のころ国レベルであれ地方レベルであれ、政治家の多くは休校には反対だった。なのに彼らは急に態度を変えてこれに賛成するようになった。何が起こったのか?ウィルス学者のドロステンがアメリカからの新しい報告書を読み、一晩で意見を変えてしまった。さらに政府は最初のころはマスク着用の効果でさえも疑っていた。なのに今ではドイツ全体にわたってマスクの着用は義務付け(mandatory)られている。

政府もぐらついている?

政府による態度変更には他にも例がある。例えば「パンデミックのコントロールに伴うターゲット設定」(its targets for controlling the pandemic)について、ドイツ政府は最初は「新たな感染者数がどの程度急速に倍増するか」(how quickly the number of new infections doubled)の問題だと言っていた。が、後になって「再生産要素」(reproduction factor)の問題だと言うようになった。即ち一人の感染者が何人くらいの人間にウィルスを感染させているかということだった。それが今やメルケル政権の閣僚は違う数字を語るようになった。即ち新たな感染者数(number of new infections)である、と。政府によると感染の鎖が追跡できるのは、その新たな感染者の数が余りにも急速に上昇しないことが前提となる。という具合に、コロナ対策についての態度変更が多すぎ、それが国民の間で混乱と不信感を生んでいる。
merkelこのような政府による度重なる態度変更がロックダウン反対派が勢いづかせているという側面は確かにある、とSpiegelは言っている。これまでのところのドイツにおける死者数は約7000人にとどまっている。そのことが事態をまじめに受け取らない人間を増やしているのかもしれない。政府が警告めいた発表をすると「大げさに言っているに違いない」と思われるケースもある。コロナウィルスを怖れないドイツ人の数は増えているかもしれないし、ドイツはうまく切り抜けたと思い込んでいるドイツ人もいる。しかしコロナウィルスの危険性そのものは以前と何も変わっていないかもしれない(it is still as aggressive and deadly as it was six weeks ago)とDer Spiegelの記事は警告している。

「予防パラドックス」との闘い?

Spiegelの記事が最後に触れているのが、医学の世界における「予防パラドックス」(Prevention Paradox)という現象です。これは1981年にジェフリー・ローズ(Geoffrey Rose)という英国の疫学者が使ったとされる言葉なのですが、Spiegelの説明によると
社会全体の健康(公衆衛生)にとっては明らかに利益となる予防策が、時として個人々々には殆ど利益にならないどころか害になることさえあるという現象のこと。
It states that a preventative measure that has a high health benefit for the overall population often does very little for, or is even harmful to, the individual.
となる。
rosaluxenburg世界的な感染症をコントロールしようとする場合、この言葉が当たっている部分が確かにある。感染症との戦いにおいては、まだ感染がそれほどでもない「初期段階」において厳しい対策がとられることが多いということ。それがうまくいって、作戦成功となった場合、起こるだろうと恐れられていたことが結局起こらなかった・・・ということがある。そうなると、多くの人びとがそのような予防策を推進した政治家たちを「やり過ぎだったのではないか」と考えたりすることがあるというわけです。
つまり(とSpiegelが言うのは)ドイツにおいて大量死が起こっていないということが、ドイツ人の政府に対する批判の声が大きいことの原因であると言えるかもしれない。特に今回の場合、パンデミックとの戦いが、学校閉鎖とか外出禁止・営業禁止などのような深刻な文化的・社会的・経済的な結果を伴っている。となると
これからドイツが闘わなければならないのは、コロナウィルスだけではなくて、この「予防パラドックス」という現象である可能性が高い。
It’s not just the virus that Germany will likely have to deal with for some time to come, but also this paradox.
とSpiegelは言っています。
2020年5月10日 up date

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