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賛助会員 春海 二郎
(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)
ロックダウンの解除をめぐってドイツが割れている
最近、クリストファー・ラウアー(Christopher Lauer)というドイツの若手政治家が、ベルリン市内のWeinsbergsparkという公園の風景を写真に撮ってSNSに掲載したところ、25万人もの人がこれを見て、1000件に上るコメントが寄せられて話題になった。写真はたくさんのベルリン市民たちが芝生の上で日光浴を楽しんでいる様子を写したものだった。ドイツ政府によるロックダウンが実施されたのが3月14日、それ以来ラウアーは殆ど外出もせず、外に出るときは必ずマスクを着けるというわけで、忠実に政府の規制を守ってきたつもりだった。なのにベルリンの公園を見ると、ベルリン市民の誰もが政府による規制に従っているわけではないことが分かる・・・と。
コロナウィルスというと、人と人の間の物理的な距離を保つ「社会的空間:social distancing」という言葉が世界的な流行語のようになってしまったけれど、ラウアーによると、社会的空間によって作られてしまったのは、人と人の間の物理的な距離だけではなく、心理的な距離まで広げられてしまった。親しかったはずの人びとがロックダウンをめぐる意見の相違から冷たい間柄になってしまうというケースが多いということです。ベルリン市民たちの日光浴の写真を載せたSNSへの反響を見ると、いまのドイツを支配しているのが「議論」(discussion)というよりも「怒鳴り合い」(raw debate)であることが分かる(とSpiegelは言っている)。人間同士のいがみ合いはウィルス以上の速さでドイツ中に広がっており、社会分裂まで引き起こしているというわけです。政治的な議論で見ると二つのグループに分かれる。一方に政府による規制に反対してリスキーな立場をとるグループがあり、もう一方にはメルケル首相らを中心に規制支持グループがあるのですが、このような分裂・対立は社会的にも地理的にもドイツ全体を貫いているようにも見える。政治家やジャーナリストのみならず、隣近所や家庭内においてさえ個人的な意見対立が見られる。要するにコロナがドイツを二分しているということです。
現代は「妥協なき時代」(age of irreconcilability)と呼ばれているけれど、コロナウィルスのロックダウンに関する限り、ドイツではお互いがそれぞれの言い分を展開するだけで双方を満足させるような解決が見出せていない。
例えば学校閉鎖の問題。最初のころ国レベルであれ地方レベルであれ、政治家の多くは休校には反対だった。なのに彼らは急に態度を変えてこれに賛成するようになった。何が起こったのか?ウィルス学者のドロステンがアメリカからの新しい報告書を読み、一晩で意見を変えてしまった。さらに政府は最初のころはマスク着用の効果でさえも疑っていた。なのに今ではドイツ全体にわたってマスクの着用は義務付け(mandatory)られている。
このような政府による度重なる態度変更がロックダウン反対派が勢いづかせているという側面は確かにある、とSpiegelは言っている。これまでのところのドイツにおける死者数は約7000人にとどまっている。そのことが事態をまじめに受け取らない人間を増やしているのかもしれない。政府が警告めいた発表をすると「大げさに言っているに違いない」と思われるケースもある。コロナウィルスを怖れないドイツ人の数は増えているかもしれないし、ドイツはうまく切り抜けたと思い込んでいるドイツ人もいる。しかしコロナウィルスの危険性そのものは以前と何も変わっていないかもしれない(it is still as aggressive and deadly as it was six weeks ago)とDer Spiegelの記事は警告している。社会全体の健康(公衆衛生)にとっては明らかに利益となる予防策が、時として個人々々には殆ど利益にならないどころか害になることさえあるという現象のこと。It states that a preventative measure that has a high health benefit for the overall population often does very little for, or is even harmful to, the individual.
世界的な感染症をコントロールしようとする場合、この言葉が当たっている部分が確かにある。感染症との戦いにおいては、まだ感染がそれほどでもない「初期段階」において厳しい対策がとられることが多いということ。それがうまくいって、作戦成功となった場合、起こるだろうと恐れられていたことが結局起こらなかった・・・ということがある。そうなると、多くの人びとがそのような予防策を推進した政治家たちを「やり過ぎだったのではないか」と考えたりすることがあるというわけです。これからドイツが闘わなければならないのは、コロナウィルスだけではなくて、この「予防パラドックス」という現象である可能性が高い。It’s not just the virus that Germany will likely have to deal with for some time to come, but also this paradox.