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賛助会員 春海 二郎
(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)
2か月ほど前(4月27日)のThe Economistが、日本における天皇の退位に関連して、「君主制」についての特集記事を載せています。現在、「君主」(monarch)を元首とする国はバチカンを含めて44か国あるのだそうですね。100年前の20世紀初頭には約160か国あったのに革命や戦争のような「時代の変化」に伴って4分の1にまで減少してしまった。しかも44のうち16か国は英連邦に属する国(エリザベス女王を君主とする国)です。
特集記事の書き出しは
If monarchy did not exist, nobody would invent it today. もしいま君主制なるものが存在しなかったとしても、それを作り出そうという人間はいないだろう。
となっている。そうでしょうね。君主制は民主主義の現代において善しとされるもの(多様性・平等・個人主義など)の正反対に属すると言ってもいいような制度なのですからね。間もなく世界から消滅すると考えられていたのに、これまでのところ数は減ったけれど消滅はしていない。それどころか、一度はこれを廃止したイラクやルーマニアではこれを復活させようとする動きさえあるくらいで、この制度は「繁栄」(thriving)さえしているように見える。何故なのか?
上のグラフは20世紀初頭から現在までの君主制国家の数の推移を表しています。1900年の時点ではほぼ160か国であったものが、2019年の今では40か国を少し超える程度にまで減っている。
一つの理由としては、現代の君主は生き残りはしたものの実際には権力がない(powerless)存在であるということが挙げられる。第二次大戦後の日本の皇室は完全に「無力化」された。BREXITで分裂する英国でも、女王に政治的仲介を期待する人間はいない。
君主の力が弱くなるにつれて、わざわざこれを廃止しようという声も小さくなった。 the less power a monarchy has, the less anybody bothers to try to get rid of it.
ということです。
一見すると時代遅れに見える君主制が消えそうで消えないもう一つの理由としてThe Economistが挙げるのが「民主主義の危機」(democracy’s difficulties)という風潮です。フランシス・フクヤマという人が『歴史の終わり』(End of History)という本を書いて、リベラル民主主義の勝利を宣言したのは約30年前のことだった。誰もがフクヤマのメッセージを信じたわけだけれど、30年後の世界を見ると、一国主義やポピュリズムのメッセージをがなり立てる極右政治家がはびこる状況が現出してしまっている。そんな中で「閉鎖的一国主義よりは君主制の方がマシ」という感覚を持つ人間も増えており、それが「君主」が消えない理由になっているということです。Monarchy has benefited from the comparison.というわけです。比較優位ということですね。
The Economistは、現代において特に「成功」しているとされる「君主」の例として、英国のエリザベス女王と日本の明仁上皇(平成時代に天皇だった)を挙げている。二人とも自分たちが依って立つ制度の長い歴史を守りながら、これを近代化(modernising the institution)することにも努力を払ってきたというわけです。 彼らの「成功」の基になった態度として(The Economistは)”discretion”と”subtlety”という言葉を使っています。英和辞書によると前者には「慎重」、後者には「巧みさ」という言葉が当てられているけれど、英文で説明すると:
となっている。要するに「慎重さの極致」というニュアンスの言葉であり、その意味では女王や天皇の世界には「うっかりミス」というものがないという意味でもある。
The Economistは、井上亮(Makoto Inoue)さんという日本人の皇室研究家の言葉として、明仁上皇は「革命的な天皇」(revolutionary emperor)だったと言っている。日本の国民のためを想って皇居に居ながら祈る(sit in the palace and pray)というよりも、外へ出て行って人びとの近くに居ようとしたということ。特に災害の被災者と話をするような場合は膝をついて坐ることを常としていた。
また日本の保守派の政治家と異なり、明仁上皇は、演説の中でしばしば戦時中の日本の行いについて「深い悔悟の念」を表明していた。 Unlike the country’s conservative politicians, he has consistently expressed “deep remorse” for Japan’s wartime actions during his speeches.
明仁上皇はA級戦犯が祀られている靖国神社を訪れることを拒否していた。戦時中の日本に関する明仁上皇の言動について、保守派の政治家は快く思ってはいなかったものの、上皇に対する国民的な支持の高さはどうすることもできなかった。NHKの調査でも支持率は80%を超えていた。
エリザベス女王の場合は、明仁上皇のように言動に政治性が与えられてしまうということはなかったけれど、それでも王室の近代化には地味な努力を払っている。バッキンガム宮殿の一般公開とか王室の人間の納税などもそれにあたる。英国王室の人びとはツイード地の衣服を身に着け、狩猟に興じたりするような古さを堅持する一方で、エリザベス女王は常に明るい色の衣服を身に着けている。それは大衆の中にいても常にカメラにとらえられるようにすることを狙っている広報作戦(public relations)なのだそうです。
エリザベス女王と明仁上皇の間には共通点もあるのだそうです。まずやたらと外出が多いこと。彼女の有名な言葉に
I have to be seen to be believed. 自分が存在することを信じてもらうためには、見てもらわなきゃ。
というのがある。1952年に女王になって67年、文字通り殺人的なスケジュールをこなしているけれど、ある世論調査によると、約6000万の英国民のほぼ3分の1(65才以上の国民となると約半数)が実物の女王を見たことがあると答えており、2016年の世論調査では86%の英国人がエリザベス女王について「よくやっている」(doing a good job)と答えたのだそうです。
女王は今年で93才ですが、The Economistは「アキヒトの例に従うような兆候は見られない」(there is no sign of her following Akihito’s example)と言っている。つまり生前退位(abdication)の意図は全く感じられない、と。それは67年前の戴冠式の際にそれをやらないことを神に誓ったからなのか、あるいは物議を醸す発言をする自分の息子(チャールズ皇太子)を信用できないからなのか・・・誰にも分からない(nobody knows)のだそうです。ここをクリックすると、1953年6月2日に女王が行った「戴冠の誓い」(Coronation Oath)を読めるけれど、「生前退位は行わない」などという言葉は見当たりません。