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国際問題コラム「世界の鼓動」

グラマースクール復活の善し悪し

賛助会員 春海 二郎

(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)

EUに関する国民投票で「離脱」が勝利したことで浮彫りになったのが、英国における社会的な溝や格差の存在であると言われています。イングランドとそれ以外の「地域」(スコットランドなど)の間の溝、南イングランドと北イングランドの経済格差等々、EUとは無関係なはずなのですが、あの国民投票を機に人びとの間の対立感情のようなものまで露呈されてしまった。というわけで、新しく首相に就任したティリーザ・メイにとって極めて重要な仕事の一つが、英国における「社会的一体感」(social cohesion)を取り戻すことであるとされている。

7月13日、正式に新首相に就任したメイ首相が首相官邸前で国民向けに行った短いスピーチにもそのことがはっきり謳われている。例えば次の一文は教育における格差解消を訴えている。

公立学校へ通った人は私立学校に通った人間よりもトップの職業に就く可能性が低い。
If you’re at a state school, you’re less likely to reach the top professions than if you’re educated privately.

そこでメイ政権が打ち出したのが中等教育におけるグラマー・スクール(grammar school)の復活です。グラマースクールというのは、公立の中学なのに入学試験に受からないと入れない学校のことです。普通の公立中学には入学試験はないのですが、グラマースクールへの進学希望者は11才になった時点(小学校卒業の時点)で試験を受ける必要がある。

グラマー・スクールの数の推移。終戦直後には1200校もあったけれど、いまでは全部で163校しかない。

グラマースクールそのものの歴史は400年以上も前に始まったものなのですが、現在のようなものが出来たのは第二次大戦後のことです。高校・大学まで行けるような子供は金持ち・上流階級の子弟に限られており、みんな私立学校へ進んだのに対して「金持ちではないけれどアタマのいい子」のための公立学校を作ろうというのがその趣旨だった。ただグラマースクールは成績優秀な児童のみが入学を許される制度であるところから、結局は社会の「階級」がより色濃く反映されるものということで、政府の方針で1970年代半ばにはすでに廃止されるようになった。そして1998年、当時のブレアの労働党政権によって新設のグラマースクールは認められないことになった。つまり現存するものを除いて廃止されてしまい、現在ではイングランドでは約3000ある公立中学のうち163校、北アイルランドでは69校がグラマーで、スコットランドとウェールズにはグラマースクールはない。

ただ、メイ首相(彼女もグラマースクール出身)に言わせるならば、いまの英国ではトップの職業人は圧倒的に私立校(学費が高い)出身者で占められており、それが社会的な格差や分断につながっている。これを解消するためには公立学校出身者に対してもそのような機会を与えなければならない・・・というわけで社会的な格差解消の手段の一つとしてグラマースクールの復活を考えているわけです。実は1964年から1997年までの33年間で5人の首相がいる(ウィルソン、ヒース、キャラハン、サッチャー、メージャー)のですが、5人ともグラマースクールの出身者なのですね。

が、The Economist(8月13日付)などは、このやり方について社会的流動性を損なう(would damage social mobility)ものであり、メイ首相が目指す「社会的一体感」の創出には繋がらず、グラマーの復活は間違っているなどと批判しています。グラマースクールの存在が社会的流動性を促進するというのであれば、これを復活させる意味があるけれど、The Economistによると、グラマースクールはこれを却って阻害しているというわけです。

教育政策研究所(Education Policy Institute)の調べでは、11才の児童に関しては、いわゆる貧困家庭の児童は普通の子供たちよりも教育水準が10か月ほど遅れているという結果が出ているのだそうです。つまり11才のときに行われるグラマースクールの入学試験に貧困家庭の児童が合格する確率は極めて低いということになる。そうなるとグラマースクールの恩恵を受けるのは、実際には経済的に恵まれたミドルクラスの子供たちなのではないかということです。

さらに、現在のグラマースクールで無料の学校給食を受けている貧困家庭の児童は全体の3%であり、普通の公立中学では13%・・・という数字から見てもグラマースクールが必ずしも経済的に恵まれない家庭の子供たちが通っているわけではないことが分かるではないかというわけです。グラマースクールは公立でありながらアタマのいい生徒だけが集まる学校だから、親としては家庭教師を雇ってでも子供が受験に合格するように努める。つまり家庭教師を雇えるような金銭的な余裕のある家庭の子供が集まる。地元の私立校もグラマーに生徒を取られることになる。

グラマー支持者には低所得者層が暮らすエリアに作ることで、貧困家庭の子息にも門戸を広げることができるという声もあるけれど、The Economistによると親はいい教育のためなら長時間通学もいとわない人が多い。事実現在のグラマースクールの学生のほぼ4分の1が「越境入学」なのだそうです。いくら「貧困エリア」にこれを作っても結局は金持ちの子息に占領されてしまうのではないかということです。というわけで、The Economistは

メイ首相の意図は悪くないにしても、選抜試験を再導入することが、彼女の将来の閣僚たちの多様性に繋がる可能性はほとんどない。
Regardless of Mrs May’s fine intentions, reintroducing selection would do little to improve the diversity of future cabinets.

と言っています。つまりいくらグラマースクールを復活させたとしても、それが社会的流動性、即ち貧困層の出身でもトップにまでのぼることができるような状態に繋がることはないだろうということです。

2016年5月14日 up date

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