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賛助会員 春海 二郎
(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)
熊本の地震についてのニュースに接しながら、むささびはある英国人女性のことを想いだしていました。名前はハンナ・リデル(Hannah Riddell)、1855年10月17日にロンドンに生まれ、1932年2月3日に77才で亡くなっている。亡くなったのは熊本だった。いまから160年以上も前に英国で生まれたハンナがなぜ熊本で生涯を終えることになったのかについては『ハンナ・リデル』(ジュリア・ボイド著・日本経済新聞社)という本に詳しく書いてあるのですが、その本の書き出しは次のようになっている。
1890年11月14日、蒸気船デンビーシャー号はサザンプトンを出航し、日本へ向かった。この船には、ヴィクトリア時代のイギリスの平穏な中流階級の生活を後にして、世界の果ての未知の国へ、骨を埋める覚悟で旅立とうとする5人のうら若い女性が乗っていた・・・。
この5人の女性はいずれも英国国教会が派遣した宣教師で、全員が日本にキリスト教を広めようという使命感に燃えていた。ハンナは35才だった。サザンプトンを出てから2か月後の1891年1月16日に神戸に到着するのですが、その時点ではまだ日本のどこに派遣されるのかは分かっていなかった。ただ、この本の著者によると、ハンナは九州にだけは赴任したくないと周囲に漏らしていたのだそうです。理由は英国を出る1年前の1889年に熊本を襲った地震のことを新聞で読んでいたから。
でも結局、ハンナは熊本に派遣されるのですが、派遣先の熊本で遭遇したハンセン病の患者の悲惨な状態に衝撃を受け、彼らを救うことが「神から授かった使命」であるとして、77才で亡くなるまで、ハンセン病患者の救済をライフワークにした。その彼女の「ライフワーク」の記念碑的存在が1895年、熊本市黒髪に設立した回春病院で、現在の高齢者福祉施設、リデルライトホームの元になったところです。所在地は「熊本市中央区黒髪5丁目23-1」となっているのですが、ラジオで聴いていると「中央区」は今回の地震ではかなりの被害を受けたのではないかと心配であります。
実はハンナ・リデル以外にもう一人、熊本に関係する英国人女性のことが気になります。キャサリン・メアリー・ドゥルー・ベーカー(Kathleen Mary Drew Baker)という名前の海藻学者(1901~1957年)で、彼女が関係しているのは熊本県宇土市で行われている海苔の養殖です。彼女がマンチェスター大学で海洋生物学を研究していた際に、ウェールズ地方の海岸に産生していたPorphyraという海藻の生長過程初めて解明することに成功したのですが、この海藻が実は日本の海苔ときわめて近いものだった。
彼女は自分の研究成果を日本の研究者に伝え、それが熊本県水産試験場の専門家に伝わり、さらに研究が重ねられた結果、1953年に海苔の人工採苗に初めて成功し、それによって海苔は毎年安定して十分な量を収穫できるようになり、日本の海苔養殖に画期的な影響を与えたのだそうです。そして1963年に彼女の偉業を讃える記念碑が有明海を見下ろす宇土市の住吉公園に建立され、毎年4月14日に彼女の偉業をたたえるお祭り(ドゥルー祭)が開かれている。その記念碑は彼女のことを“Mother of the Sea”(海の母)と刻んでいるとのことであります。