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国際問題コラム「世界の鼓動」

「9・30事件」研究の新たな展開

「9・30事件」研究の歴史

ここで、インドネシアにおける9・30事件研究史をふりかえっておきたい。LIPIの歴史家アスヴィ・ワルマン・アダム(Asvi Warman Adam)氏が、事件からちょうど半世紀の今年9月30日付け「コンパス」紙面にて、この点について概括している。

彼によれば、この半世紀は五つの時期区分に分けることができる。第一期は事件の発生直後からスハルト体制が確立するまでの時期で、謎の多い事件の黒幕は誰か特定しようとする調査分析が行われた。第二期はスハルト政権の誕生からその崩壊まで30年に及ぶ長い期間である。この時期には「クーデターにより権力を奪取しようとしたPKIの陰謀を国軍が粉砕した」という軍事政権公認の史観のみしか語ることが許されなかった。膨大な虐殺、甚大な人権侵害があったことを公の場で話すのはタブーだった。

第三期は、スハルト政権が崩壊した1998年以降。これまで沈黙を強いられてきた大虐殺の被害者たちが声をあげ始めたのである。政治家、軍幹部のみならず、被害者に対するインタビューが行われ、オーラル・ヒストリー手法が用いられて、各地の虐殺の現場状況が明るみになっていった。第四期にはジョン・ルーサ著『大虐殺の口実』が2008年に刊行され、大虐殺がどのようにして行われたのか解明のメスが入った。そして「アクト・オブ・キリング」のように大虐殺の加害者が証言を始めた近年が、第5期である。

そして今年は事件発生から半世紀ということで、事件を再度ふり返り、真実に迫る研究、そして事件の被害者及びその家族の名誉を回復し、被害者と加害者の和解を進めようという様々な試みが、インドネシア国内で行われた。

CIAの痕跡:1965年の悲劇そうした試みのなかで今年特徴的だったのは、国際的な文脈、研究ネットワークのなかで9・30事件を捉えなおそうというアプローチが目立ったことである。インドネシアの有力週刊誌「テンポ」は毎年9月になると、9・30事件の特集記事を組むことで知られている。今年、同誌がどのような姿勢で臨むのか注目したが、10月5-11日号(インドネシア語版)は表紙に当時の米国マーシャル・グリーン大使を掲げ、「CIAの痕跡:1965年の悲劇」と題して米英独日が事件のさなかどのような外交、情報活動を行ったのかをふりかえっていた(写真)。

この特集は今年6月に米国で公開が始まった外交文書、すなわちCIAが当時のジョンソン大統領への国際情勢ブリーフィングのために毎朝作成していた報告文書のなかの、1965年10月から12月にかけてのインドネシア情勢箇所を読みこんで分析したものだ。「テンポ」誌によれば、これらCIA報告には、CIA資金がインドネシア国軍の共産党弾圧に使われた直接の証拠となる記載はないが、国軍が共産党を制圧しつつある状況をCIAは米国大統領に日々伝えていたという。

シンポジウム国際的文脈で9・30事件を捉えなおそうとするのは、早稲田大学とインドネシア科学院(LIPI)が9月18、19日に共催したシンポジウム「インドネシアと世界の関係:1965年から50年を経た日本研究」にも共通する(写真)。この学術会議にて、内外の研究者が行った発表は、インドネシアの有力メディア「テンポ」誌、「コンパス」、「ジャカルタ・ポスト」紙でも紹介され注目を集めた。

このシンポジムの特徴は、インドネシアのみならず、米国、中国、台湾、北朝鮮、フィリピン、マレーシアなど国際的な文脈から各国で公表された公文書等の新資料、関係者の証言、メディア報道などを用いて、この事件の闇に多角的に光を照射したことにある。

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2015年10月31日 up date

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