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国際問題コラム「世界の鼓動」

「声なき声」にノーベル文学賞

賛助会員 春海 二郎

(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)

今年のノーベル文学賞にベラルーシのスベトラーナ・アレクシェービッチ(Svetlana Alexievich)というノン・フィクション作家(67才)が選ばれましたよね。この人のことを「ジャーナリスト」と呼ぶ人もいるようですが、文学者でない人がノーベル文学賞に選ばれるのは珍しいとのことです。英国メディアの報道によると、彼女の代表作の一つに “Voices from Chernobyl” という作品がある。日本では『チェルノブイリの祈り』というタイトルで岩波書店から出ているようです(むささびはまだ読んでいない)。

1986年4月26日、当時はソ連の一部だったウクライナのチェルノブイリで起こった、あの原発事故に関するドキュメンタリーです。といっても事故そのものではなく、あの事故によって被害を受けた人びとについてのドキュメンタリーです。本のサブタイトルが「ある核事故についてのオーラル・ヒストリー」(Oral History of a Nuclear Disaster)となっている。つまり「語り継ぐチェルノブイリ事故」ということですね。

ここをクリックすると、”Voices from Chernobyl”(英文版)の一部を読むことができるのですが、最初から最後まで作者(アレクシェービッチ)がインタビューをしたチェルノブイリ原発事故の被害者(生存者)の言葉が一人称で書かれている。

作者によると、インタビュー取材を始めたのが1986年だから、10年かけて約500人にインタビュー、最終的にはそのうち107人の言葉が収容されているのですが、例えば放射能汚染が理由で村人たちがよそへ移住してしまった村に独りで暮らしている年老いた女性の言葉:

最初はみんな帰ってくるのを待っていたの。誰もずっと帰ってこないなんて言わなかったからね。でも、いま待っているのは死ぬことだけ。死ぬのは難しくない。でも怖い。教会もないし、牧師も来ない。自分が犯した罪を告白する相手がいないのよ。


彼女の家の周囲には夜になると狼が出没するのだそうです。彼女は「若い人は死ぬことを選べるけれど年寄りは死ぬしかないってことなのよね」(A young person can die, an old person has to die…)と言っている。


チェルノブイリ原発の建屋と原子炉が崩壊した直後に消火に駆けつけ、後に死亡する消防士の妻の語り:

何について話せばいいのか分かりません。死についてですか?愛についてですか?ひょっとすると両方とも同じことかもしれないですね。どっちのことについて話します?私たちは新婚だったんです。道を歩くのに手をつないでいたりして・・・


この新婚夫婦は原発の付近にあった消防署の宿舎で生活していたのですが、ある夜、彼女は「騒音(ノイズ)」を耳にしたので、窓から原発の方を見た(実際にはこの部分も妻の語りスタイルで書かれている)。

「窓を閉めて寝ていろ。原子炉が火災にあっているようだ。すぐ帰ってくるからな」と夫は言いました。私自身は爆発そのものを見たわけではないのです。ただ炎は見えました。全てが光っているように見えました。空全体が、です。高い炎、それから煙。熱は凄かった。彼はまだ帰っていません。


とにかく最初から最後まで、作者のナレーション抜きで、一人称による「独り言」のような証言が続くわけです。どれも非常に悲しいものなのですが、なぜか読むのを止めることができない、不思議な本です。

アレクシェービッチは自身のブログ “A SEARCH FOR ETERNAL MAN“(永遠の人間を探して)の中でノンフィクション作家としての自分の仕事について次のように語っています(原文はロシア語、ブログはその英訳)。

私はこれまで自分の世界観、すなわち自分の耳が聴き、眼が見る人生とか生活(life)を伝えるにはどのようなやり方が一番いいのかを模索してきた。いろいろ試してみた結果たどり着いたのは「人間の声そのものを伝える」ということだった。

I’ve been searching for a genre that would be most adequate to my vision of the world to convey how my ear hears and my eyes see life.I tried this and that and finally I chose a genre where human voices speak for themselves.

彼女の有名な作品として “Zinky Boys”(邦題『アフガン帰還兵の証言』日本経済新聞社)というのがある。ソ連がアフガニスタンに侵攻した戦争(1978年-1989年)で、結局敗退するのですが、その戦争に駆り出された兵士やその家族による証言集です。自分の息子の戦死を知らされた母親の証言:

息子の死を知らされて、私、床に倒れ込んでしまいました。で、知らせに来た大佐に言ってやったんですよ。「あたしの息子が死んで、なんでアンタが生きているのさ。アンタはでかいけど、ウチの息子は小さかったのよ。アンタは男(man)だけど息子は子供(boy)だった。なんでアンタは生きてるのさ」ってね。


登場人物の語り言葉だけで伝えるやり方を“polyphonic writings”(多声式記述法:むささびの訳)というのだそうで、アレクシェービッチにノーベル文学賞を与えたスウェーデン・アカデミーは彼女の作品は「現代の苦しみと勇気に対する記念碑」(a monument to suffering and courage in our time)であると言っています。またThe Economistは彼女のことを “Giving voice to the voiceless”(声なき人びとに声を与える)作家であると言っている。

2015年10月18日 up date

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