NPO法人 アジア情報フォーラム

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国際問題コラム「世界の鼓動」

「9・30事件」研究の新たな展開

賛助会員 小川 忠

(筆者は国際交流基金のジャカルタ事務所長として独自に情報発信をしている)

1965年にジャカルタで発生したクーデター未遂「9・30事件」から今年で50年、半世紀の時が過ぎた。

この事件は「アジアを変えたクーデター」と呼ばれ、インドネシアの中学・高校の歴史教科書は数ページをさいて説明している。インドネシア国民なら必ず学ぶ現代史の重大事件なのである。

とはいうものの日本ではほとんど忘れられていたと言ってよいだろう。ところが9・30事件後に発生したインドネシアでの大虐殺を主題とする、ジョシュア・オッペンハイマー監督の長編ドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」が2014年に日本でも公開され話題となって、再び注目が集まり始めている。

時期を同じくして出版ではジャーナリスト千野境子氏の『インドネシア 9・30クーデターの謎を解く:スカルノ、スハルト、CIA、毛沢東の影』(草思社)、インドネシア研究者倉沢愛子氏の『9・30世界を震撼させた日』(岩波書店)と、相次いでこの事件が抱える大きな闇に迫る意欲的な研究書が刊行されている。

 

闇深き「9・30事件」とは

 9・30事件とは、1965年9月30日深夜から翌10月1日未明にかけて大統領親衛隊ウントゥン中佐率いる部隊が、陸軍首脳6名を拉致、殺害し、革命評議会を設置したクーデターである。しかし陸軍戦略予備軍司令官スハルトによってほどなく鎮圧され、クーデターは未遂に終わる。陸軍はこの事件はインドネシア共産党(PKI)の陰謀によるものだとして弾圧にのり出し、PKI関係者、支持者ら50万人、一説には数百万人が犠牲になったといわれている。

この事件をきっかけに初代大統領スカルノは失脚し、代わってスハルトが第二代大統領に就任する。インドネシア外交は「容共」から「反共」へと軸足を移し、中国と断交する一方で、西側諸国との関係を修復し、アセアンの成立を促した。この事件は、インドネシアの権力構造、アジアの国際関係の構図を一変させるほどの影響を及ぼしたのだ。

 それほどの大事件であったにもかかわらず、その真相については、発生後半世紀近い時を経ても未だ様々な評価・解釈がせめぎあっている。千野氏は前掲書のなかで、この事件をめぐる六つの謎を以下の通り列挙している。

①事件の首謀者は本当にPKIとそのシンパだったのか、②スカルノはその謀議に関わっていたのか、③陸軍首脳部内にスカルノ体制転覆を画策する一派が存在していたのか、④なぜスハルトは拉致されず反乱部隊を迅速に鎮圧できたのか、⑤PKIに近い中国は事件と無関係だったのか、⑥米国CIAが事件の黒幕だったのではないか。

 さらに9・30事件後に続いたPKI狩りの大虐殺がどのようなメカニズムで行われたのか、責任者はだれなのか、一体どれほどの数の犠牲者が出たのか、についても未解明な部分が大きい。

倉沢氏の前掲書は「第6章 大虐殺」で、東ジャワ、中部ジャワ、バリで発生した大虐殺を比較分析している。「共産主義VSイスラム、つまり無神論イデオロギーと非寛容な宗教の対立が憎悪の炎を燃え上がらせた」という見方、すなわち大虐殺は文化的摩擦から発生したと見る文化主要因説がこれまで語られてきたが、倉沢氏はこの説を排し、各地の政治、経済、メディア他の社会状況を分析し、虐殺発生の背景にはその地方それぞれの特有の政治事情・状況がからんでいることを明らかにしている。

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2015年10月31日 up date

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