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国際問題コラム「世界の鼓動」

ラグビーと英国社会

賛助会員 春海 二郎

(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)

はるか昔のことのように思えるけれど、日本がラグビーのワールドカップで南アフリカに勝ったとき、日本のメディアはもちろんですが、英国のメディアでも、まさか、「あの日本」があの南アを破るなんて・・・と大騒ぎだった。「あの日本」とは「誰も真面目には考えたことがない相手である日本」(Japan never taken seriously)という意味です。

ただ、英国メディアのサイトを見ながら、むささびが「おやっ?」と思ったことがあります。いわゆる高級紙と呼ばれる新聞と大衆紙とされる新聞の間で騒ぎに差があったことです。BBCや高級紙は、少なくともスポーツ・セクションでは例外なくトップ・ニュースであったし、サイト自体のトップページに掲載したところもあった。Sunday Telegraphなどは新聞そのものの第一面のトップ記事だったという話もある。その一方で大衆紙とされる新聞は、(むささびの見た限りでは)スポーツ・セクションでもトップはラグビーではなくやはりサッカー関連の記事だったわけです。

そういえば英国ではラグビーはどちらかというと上流階級のスポーツとされるという話を聞いたことがあったっけ・・・と思いながらネットを当たってみたら、レスターにあるデモンフォート大学(De Montfort University)のトニー・コリンズ(Tony Collins)教授のブログに行きあたりました。彼は歴史の教授なのですが、特にスポーツの歴史を専門にしており、’A Social History of English Rugby Union’ などの著書もある。

ラグビーの故郷、Rugby School

「ラグビー」にも2種類あるということ、あなたは知っていました?コリンズ教授のブログを読むまでむささびは知りませんでした。一つは「紳士であり、アマチュアであることが可能だった人たち」(those who could afford to be gentlemen and amateurs)がプレーするラグビーであり、もう一つは「そのような贅沢は許されなかった人びと」(those who couldn’t)が行うラグビーです。結論から先に言っておくと、今回日本が南アに勝ったことで大騒ぎになったのは前者のラグビーのことです。

ラグビーというスポーツの始まりは、1823年、イングランドの真ん中あたりにあるラグビーという町にある私立学校(Rugby School)の生徒が、フットボールの試合中にボールを持って走り出してしまったことであるというのが通説になっています。その50年後の1871年にラグビー・ユニオン(Rugby Union)という団体ができ、これがラグビーというスポーツが英国全土および大英帝国の進出先にまで広がっていく出発点となった。

ユニオン発足の時点でのラグビーは金持ちの子弟が通う私立学校(パブリックスクール)を基盤とするアマチュア・スポーツで、教育の一環として行われていたのですが、コリンズ教授によると、これが全国的に広がるようになって、特にイングランド北部では爆発的な人気を博するようになり、北イングランドにもラグビー・ユニオン傘下のチームがいくつかできた。ただ当時の北イングランドは炭鉱と繊維が中心の産業でラグビーのプレーヤーも炭鉱夫や繊維工場で働く労働者が多かったし、ゲームを見る観客も、いわゆる「労働者階級」が圧倒的だった。北イングランドのファン気質が、ラグビーというスポーツを生んだ名門私立校の気質とはまるで合わず、そのことが「ラグビー・ユニオン」の分裂にまで繋がり、それは21世紀のいまも尾を引いている。

北イングランドのファン気質の何がそれほど問題であったのか?パブリックスクール出身者を名乗る人物が、当時、北イングランドの有力紙、ヨークシャー・ポストに投書して、北イングランドのファンが粗野で無知で、「紳士のスポーツ」としてのラグビーのやり方を無視しており、

「親愛なるイングランド」が昔から守ってきたフェア・プレイの精神を侮辱するものであると言える。

it is a disgrace to the prestige of “Dear Old England” for time-honoured fair play.

と書いている。この投稿者が怒っているのは礼儀をわきまえない選手のみならず、試合中大きな声で選手に野次を飛ばしたり、罵声を浴びせたりする観客の騒ぎぶりだった。ラグビーを人格教育・人間修養の一環(紳士のスポーツ)として考える南イングランドの上流階級にとっては我慢のできない光景であったということです。

が、コリンズ教授によると、北イングランドの労働者たちはラグビーを「教育」ではなく「娯楽」の一つとして楽しんでいたということであって、ラグビーに対する姿勢の違いから来る摩擦だった。19世紀も終わりのころには炭鉱産業の世界でも労働条件の改善が行われ、労働者たちは土曜日の午後に休みをとれるようになった。その彼らにとってラグビー観戦は格好の娯楽であったわけです。中にはビールを飲みすぎて酔っ払って暴れる客も出てくる。
南イングランドの関係者にとってさらに気に食わない習慣として、北イングランドではラグビーの選手に対して金銭および現物によるご褒美(reward)が配られたりすることもあったということ。それは金銭の場合もあったし、品物(例えば服地とか)の場合もあったわけですが、ラグビー・ユニオンの紳士たちにしてみれば、ラグビーに金銭や物品が絡むことなどとても許せるものではなかった。当然、これは厳重に禁止、これに違反する選手や関係者はユニオンを除名するという規則を作ったりした。しかしコリンズ教授によると、「ご褒美」という習慣にも切実な理由があった。北イングランドにあるチームの選手たちは大半が炭鉱夫か工場労働者だったので、ラグビーをプレーするためには職場を休まなければならない。となるとその分だけ給料を払ってもらえないので、選手と炭鉱夫を両立させるためには、ラグビーをすることによる何らかの報酬は必要だったということです。

にもかかわらずラグビー・ユニオンは厳重に規則を守らせようとしたために北イングランドのラグビー界との間で溝が深まり、ユニオン発足から24年後の1895年、ついに北イングランドの5チームがユニオンを脱退、Northern Unionという新しい「プロ・ラグビー」の組織を作ることになる。すなわち選手がおおっぴらに給料を払ってもらえるスポーツになったということ。これが後にラグビー・リーグ(Rugby League)となり、いまでもラグビー・ユニオンと敵対するように存続している。ただラグビー・リーグ発足からちょうど100年目の1995年にラグビー・ユニオンもプロ化しているので、現在では報酬の有無という違いはなくなっている。

ことしは労働者階級のラグビー・リーグが発足して120周年という年なのですが、メディア的にはいまいち盛り上がっていない。ラグビー・ユニオン主宰のワールドカップがイングランドで開かれているということもあるのですが、ラグビーの世界ではやはり「ユニオン」が主流であるということです。例えば王室がパトロンをやってみたりするのは、いずれも「ユニオン」のチームです。ユニオンがプロ化する前は、報酬に惹かれて「ユニオン」の選手が「リーグ」のチームに移籍ということもあったけれど、最近ではその反対で「リーグ」のスーパースターが「ユニオン」に移籍するケースが多いのだそうです。

「ユニオン」と「リーグ」の間に存在する格差は、19世紀以来の英国社会の移り変わりを反映しているとも言えます。産業革命の遺産によって20世紀に入っても繁栄を続けていた北イングランドが、20世紀の最後のところで炭鉱産業や繊維産業の衰退によって地盤沈下、それに代わってロンドンを中心とする南イングランドの金融・サービス産業が英国経済の中心となって現在に至っているということです。

2015年10月4日 up date

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